ゴルゴ13・パート5〜俺を試したのか〜

今日も外務省のホームページに『ゴルゴ13』が掲載されていました。

日本の中堅企業がゴルゴ13に危険を避けるためにはどうすればいいかという依頼に、情報収集の重要性を説く話でしたが、情報収集のポイントについて、依頼者はよくわかっていました。

その依頼者に向かって、

「俺を試したのか?」

ゴルゴ13は鋭い視線を投げましたが、依頼者は平然と、

「あなたのことは調べました」

でも、それについて、あとは何事もありませんでした。

通常、試されるようなことをされてゴルゴ13が黙っていることはなく、少なくとも、

「二度と俺を試すな」

と、一言残します。

 

ボクらのゴルゴ13は、日本の外務省の提灯持ちに成り下がって、かっこばかりの腑抜けになってしまったようです。

こんなことなら、一日でも早く外務省との契約を解除し、アメリカが密かに企んでいるという、K国首領様の斬首計画を引き受けて狙撃するとか、ISに潜入して組織を壊滅させるとか、もう、ぎりぎりの線で活躍してもらいたいと、切に願っておりますが……

 

ズキューン!

 

ゴルゴ13のときだけ、ズキューンで無理矢理オチをつけて、オレたち読者を試しているのか)

神田陽子さんと旭堂南華さん〜東西美女競演〜

拙ブログをご愛読くださいます留五郎さんよりメールをいただきまして、神田陽子講談会2017其の一〜東西美女競演〜に参りました。

終演後、いつののように打ち上げがありまして、アタクシ、神田陽子さんと旭堂南華さん、美人なのに講談師というお二人とお話ができるという、実に贅沢な時間を過ごすことができました。

 

もちろん、お二人の高座も楽しく華やかでありましたが、瞠目いたしましたのは、神田陽子さんが講じられました、寺山修司先生がお書きになった講談でございました。

歌人俳人、詩人、劇作家、近代日本の文化人の象徴とも言うべき寺山修司先生が、講談も残されていたということだけでも驚きですが、八百屋お七をモチーフに安保運動に翻弄される男女を描いた作品そのものも、そのまま芝居になりそうなほど、見事なできばえでございました。

 

恥ずかしながら、講談も書いておりますアタクシ、よい勉強もさせていただいたと思っております。

 

てなお話を、お誘いいただいた留五郎さんにいたしましたところ、

「ほな、次のブログはそういうことで……」

ということで、オチのないブログになってしまいました……

大事なことは《ワンピース》が教えてくれる

週刊少年ジャンプ集英社)の今週号に掲載されている、尾田栄一郎さんの『ワンピス』は、秀逸です。

そして、感動的です。

 

麦ワラ一味の一人、サンジとその家族、ヴィンスモーク家もろとも抹殺しようと企てるビッグマムの娘、プリンは、額に第三の目とともに悪意を隠し持った娘ですが、純情可憐を装うぶりっこです。

その彼女が、結婚式でサンジを抹殺するつもりでいることは、実はサンジも承知していましたが、プリンの額にキスをしようとしたそのときに、彼女の第三の目を見て、

「きれいな瞳だ」

と、口にしました。

その瞬間、その第三の目のせいで辛い思いをしてきたプリンは、涙を流してそこにひざまずいてしまいます。

 

プリンの思惑を知っていながら自分の正直な思いをこぼしたサンジに、人間の本来あるべき一面を垣間見ることができるのではないかと思いました。

 

もちろん、女性好きのサンジならではという点は見逃せませんが、偽りが飛び交う状況にありながら、そんな思惑、敵味方を超越した気持ちの表現が状況を一変させる……

 

いつのまにか忘れてしまっていた大事なことを、思い出させられたように感じました。

 

そんな感動を、例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、昔からそんなことには気づきもしなかったはずだよね」

なんてことを申しましたので、

「失礼なことを言うな!」

と、怒りましたところ、

「あ、いや、私が間違っていた」

と、珍しく自分の過ちに気づいたように謝ると、

「キミの場合、気づいてもすぐに忘れるから思い出すというところは、まさにキミの主張するとおりだ…… でも、思い出す尻からまたすぐに忘れる……」

長寿に異議あり!

ギネスブックに認定されていた、117歳の方がお亡くなりになったという報道がありました。

 

かぐや姫の昔から、人々は不老長寿を願い、また、長命がめでたいことだと一般に考えられているようです。

なにより、〈長寿〉という言葉自体に、〈寿〉という文字がついているところが、その証左だと思います。

 

でも、〈長寿〉はほんとうにめでたいことなのでしょうか……

 

不老不死で、歴史に関わる人物が登場するコマーシャルがありますが、死なないけれど、怪我はするし病気にはかかるというところは、不老不死がめでたいとばかりは言えないようにも思います。

 

「長生きなんてするもんじゃないよ……」

なんてことを口にする方もいらっしゃれば、年を取って、

「お迎えを待っている……」

てなことをおっしゃる方もおられます。

中には、

「長く生きてりゃ、いいこともあるよ……」

と言う方もいらっしゃいます。

「おばあちゃん、長生きでいいね」

と言われて、

「あたしが長生きしてよかったのかどうか、どうしてあんたにわかるんだい」

と応じたという方のお話も耳にしたことがあります。

長生きはめでたいことではない、とお考えの方も少なくないのではないかと思います。

 

落語には、嫁さんが美人だと旦那は短命で、そうでないと長命だ、なんて噺があります。

 

月に帰るかぐや姫から不老不死の薬をもらった帝は、かぐや姫のいない世界では無用だと言って、これを焼却してしまいました。

 

ただ、他の動物は、長寿がどうだととか考えることなく生きていることでしょうから、人間もこだわらないほういいようにも思います……

 

え?

(てなことを言うてることは、こだわってるということやないんかい!)

 

無慈悲なお茶漬け

先生が、

「人の嫌がることをしなさい」

と言ったところ、前の席に座る子供のイスを蹴り始めた生徒がいたそうです。

先生は、誰もが嫌がるような仕事、たとえばトイレ掃除などを自ら率先して行いなさい、と言いたかったようですが、聞き手は、それを反対の意味にとらえてしまったということです。

 

アメリカのレストランで、

「Are you ready? order?」

と尋ねられて、メニューに記されていた日本の料理を、たちえば、ウナギの蒲焼きを注文しようとして、

「I am an ill(ボクはウナギだ)」

と言ってアメリカ人に不審がられるというエピソードは、昔からあります。

 

政治家ややお役人が、かつてよく用いた、

「善処いたします」

は、言葉通り翻訳すると、あとで、

「善処どころか、何にもしてへんやんけ!」

と、外国人から、怒りを買ってしまいます。

 

京都では、早く帰ってもらいたい訪問客に、

「ぶぶづけ(お茶漬け)、いかがどすか」

という婉曲表現を用いるという話も、昔からあります。

 

そんな日本語に対して、日本以外の国の表現の、なんと素晴らしいことか!

「無慈悲な報復攻撃で敵対勢力の頭上に雷を落とす」

てな某国の台詞なんて、アタクシ、痺れてしまいます。

 

どこぞで使いたい、という衝動にかられてしまいますが、相手から使われたら、

「まあ、そないおっしゃらんと、ぶぶづけ、いかがどすか」

と応じてしまいそうです。

                                   デンデン

蝶々〜二つ折りのラブレター〜

先日、フランス語の先生から、

「蝶々は二つ折りのラブレター」

という一節が詩にあるというお話をうかがいました。

なるほど、と感心いたしておりましたら、さらに、

「フランス語で、蝶々はパピヨンで、紙はパピエでしょ」

 

英語で紙はペーパーですが、フランス語も英語も、パピルスから派生した単語に違いはありません。

でも、そこからフランス語は蝶に派生したようですが、英語のバタフライも、日本語の蝶々も、紙とは無縁のように思えます。

 

だからといって、フランス語の言語的な感性が他の言語より優れていると申し上げるつもりはありません。

それぞれの言語は、それぞれの風土に適応した習慣や文化などに根ざして派生、発達をしているわけですから、具体的な事例を挙げて優劣を論じることなどできません。

ただ、他の言語に触れたときに、普段、自分が使っている言語との違いを認識することは、広い視野と多様な考え方を得ることになります。

 

てなことを、例によってよって例の友人に語りましたところ、

「キミの場合、いくらそんなことを言っても、キミの言語に関する本質は変わらないよね」

なんて申しましたので、

「それはどういうことやねん!」

と、返しましたら、

「どんなに優雅なフランス語のエピソードを聞いても、キミが口にするフランス語は、ボンジュール、ボンソワール、コマンタレブー、タカギブーしかないからね」

 

え?

(このオチ、前にも使うてるんやないか)

えーと…………

                                   デンデン

《そこまで言って委員会NP》の企画力

スタジオ観覧に言ってから、やはり番組に親しみがわいて、今日も《そこまで言って委員会NP》を見てしまいました。

今日は、アメリカ、中国、北朝鮮、ロシアの首脳の本音を、それぞれの専門家が七つの質問に答えて明かしてみようという試みで、番組に出たことによって命を狙われるかもしれない、という話もある中で、いつものメンバーとのやりとりがなされていました。

 

他局では決して笑いごとにはならない、あるいはバラエティ番組では底の浅い、政治、経済、外交、社会問題を、毎度、深く穿ちながら、それでいて笑わせてくれるこの番組の企画力には、感心いたします。

 

最近のドラマでは、人気俳優の、数年先のスケジュールを押さえておいて、あとから人気作品を原作とするシナリオを作って撮影するという制作手法がとられているということのようですが、俳優も原作も人気を優先した企画ばかりでは、あまりに安直で無難なドラマばかりが量産されるだけのようにも思います。

 

近年、ブームと言われている落語も、少なくとも関西では、一部の人気落語家が登場する落語会は盛況でも、そうでない噺家の落語会は、集客に苦労しているようです。

何人かの噺家が見慣れた高座に上がって口演する落語会という形式にも、本当はもっと斬新な企画が必要なのではないかと思います。

 

「それで、具体的にどうするんだ」

と、例の友人に問われて、

「さあ、それをあんたに相談に来た」

 

毎度、企画力の欠片もないブログでございます。