アイドルの恋愛論と『ギフト±』の恋愛論の狭間

「ルールで我慢できる恋愛は恋愛じゃない」

とおっしゃって、NMB48の須藤凛々花さんは、アイドルグループを寿卒業されるようです。

 

週刊漫画ゴラク日本文芸社)に連載中の、今週号の『ギフト±』(ナカデユカさん作)には、好きな女性を危険な目にあわせたくない男と、危険な男の生きかたを受け継いだ女性が出てきます。

男からすれば、大切な恋人を守るために自分が死んでも女性には幸せになってほしい、と口にするような場面は、よくあるかと思います。

でも、男が死んで女性を幸せにしてくれる男が現れるのか、という女性の言い分には、安っぽいダンディズムも形無しです。

 

アイドルの恋愛禁止という暗黙のルールも、危険な男も、恋を燃え上がらせるエネルギーになるようです。

 

まあ、危険な男が女性の心を惹き付けるということは以前から承知しておりますから、アタクシもそうした危険な香りを漂わせるようにはしております。

でも、どうやら女性は、危険な香りではなく、危ない匂いをアタクシからかぎとっているようで……

 

え?

(風呂に入ってへんだけやろ!)

 

なんでわかりましたんや……

高瀬耕造アナウンサーの「また、いらぬ殺生をしてしまった……」

今朝のNHKのニュース。

世界の動画ザッピングのコーナーで、インタビューに答えていたときに口の中に蜂が入って、それを食べてしまったコスタリカのソリス大統領の動画が映じられました。

そのときの大統領のコメントが、

「純粋なタンパク質だ」

でしたと、述べたあとで高瀬耕造アナウンサー、

「私だったら、どう言うか、考えてみました。……また、いらぬ殺生をしてしまった……」

 

傍にいる和久田麻由子アナウンサーが、いつもならそうしたアドリブに反応しているところですが、今回、それがなかったのは、彼女に日本語の教養が不足していた…… いえ、いくらNHKのアナウンサーとはいえ、若い女性アナウンサーである和久田さんにそれを求めるのは、あまりに酷かもしれません。

 

「また、いらぬ殺生をしてしまった」

あるいは、

「また、無益な殺生をしてしまった」

という台詞は、時代劇で凄腕の浪人が、行きがかり上、仕方なく悪い奴らを斬ったときに口にする台詞で、アタクシも子供の頃、使っておりました。

夏に蚊や蠅を退治するたびに、

「また、無益な殺生をしてしまった……」

 

越後屋、そちも悪よのう」

「いえいえお代官様ほどでは……」

や、

「もそっとこちらへまいれ、そちも承知の上でまいったのであろう」

てな時代劇の台詞を使う機会は、まだ日常にあります。

 

でも、時代劇ではない現代の日本においてほんとうに殺生ができるわけではなく、また、建物の中から蚊や蠅をすっかり追い出してしまった今では、

「また、いらぬ殺生をしてしまった」

「また、無益な殺生をしてしまった」

とういう台詞を使う機会は、すっかりなくなっていました。

 

それを思えば、民放ではない、あのNHKの、しかもそのNHKの顔とも言える朝のニュースで、メインである高瀬アナウンサーが口にされたということは、もうそれだけで偉業と言っていいかと思うほどの、あるいは今年の流行語大賞名台詞復活部門(あったかな?)にノミネートされてもいいほどの快挙ではないかと思います。

 

おっと、つい調子にのってしまって、また、無益なブログを更新してしまいました……

 

反社会勢力と文科省の文書偽造容疑

反社会勢力の関係者が、私文書偽造容疑で逮捕されたという報道に、どんな文書を偽造したのか、よく読んでみましたところ、次の会長は誰それに決まりました、という内容の文書を関係者に配布した疑いだそうです。

 

まあ、この世界の方々のトップ人事がどうなっているのか、浅学にして存じ上げませんが、これを認めない人々が黙っているわけはなく、内部でちょいとしたいざこざが起こったということで、警察が、この文書を作成して配布した人物を私文書偽造容疑で逮捕したということだそうでございます。

 

獣医学部新設を巡って、総理の意向があるという内容の文書が文部科学省内で見つかったというお話は、すでに報道されているところでございますが、総理は一貫して関与を否定しておられます。

また、かつて仕事で省庁に出入るされていたとおっしゃる知人のお話によりますと、省内で物事を円滑に進めようとする際に、このような誰それの意向が働いているとような、虎の威を借るごとき文書が出回るそうです。

もし本当にそうなら、実際に総理大臣の御意向がないのに、文書を偽造したことになるのではないかと思います。

そのような文書を作成した御仁が誰であるか判明すれば、まさしく文書偽造容疑で逮捕されてしかるべきかと思います。

でないと、反社会勢力だから私文書偽造で逮捕されて、文科省だったらその対象にはならないのか、という非難を出てくるのではないかと思います……

 

え?

(それなら、先にこのブログも捜査の対象にしなければならないのではないか!)

 

拙ブログで、

「新しく設立する団体の会長はアタクシでございます」

とか、

「拙ブログは総理大臣の御意向によって毎日更新されております」

とか、どれだけ記載していたしましても、問題にはならないのであります……

イグノーベル賞の研究材料

先日、知り合いのお医者さんとはなしておりましたところ、イグノーベル賞が話題になりました。

 

「無駄なことはするな……」

が、今や幅を利かせている日本ですが、どういうわけか、

『人を笑わせ、考えさせてくれる研究』

に授けられる《イグノーベル賞》の受賞者数がもっとも多いのが、日本人だそうです。

中でもカラオケは、日本国外でも〝KARAOKE〟で歌われているほどの大ヒット発明ですが、

〈夫のパンツに吹きかけて浮気を発見するスプレー〉

だとか、

〈犬語翻訳機『バウリンガル』〉

だとか、

〈自分の放した言葉をほんの少し遅れて聞かせることで相手の発話を妨げる『スピーチジャマー』〉

だとか、

「それが何の役にたつんや!」

「世間に出回ってへんで!」

なんてツッコミを入れられるものが多いかと思います。

 

でも、そうした笑えるイグノーベル賞の受賞者数がもっとも多いのが、無駄を戒める日本人だということは、皮肉なことかもしれません。

 

東京では、落語ブームが続いており、テレビに登場するお笑い芸人の地位は、以前に比して向上しています。

 

無駄な笑いが日本人には不足し、多くの日本人は実はその無駄な笑いを渇望していることを、イグノーベル賞は証明しているのかもしれません。

 

「イグノーベル賞は、日本人には無駄な笑いが不足していることを科学的に証明している」

てな研究が、ノーベル賞を受賞すると、これまた面白いかもしれません。

 

世間に無駄な笑いを影響しているアタクシなんぞは、ええ研究材料になるかと思いますが……

 

え?

(誰も笑ってない!)

男性脳と女性脳を使い分ける会話術

脳の研究が進んで、男性の脳と女性の脳の違いが解明されつつあるようです。

 

これらを、会話術、あるいはコミュニケーション術といった方法論と照らし合わせてみますと、たとえば、

「結論から述べる」

「ポイントを絞る」

といったテクニックは、男性脳に由来する方法ということになります。

これに対して、

「傾聴する」

「共感する」

といった教えは、女性脳に由来するポイントになります。

 

人間関係を構築する際にも、ビジネスライクに人間関係を構築するなら、

「話が早い男性脳的な対応」

が適しているようですし、プライベートな人間関係を築きたいなら、

「安心と信頼感を求める女性脳的な対応」

が適しているのではないかと思います。

 

世の中に出回っているコミュニケーション術も、毎度、教科書通りに使っていては効果は薄いということが言えるかもしれません。

つまり、状況と相手によって変えることができる柔軟性が必要かと思います。

 

人工知能を持ったアンドロイドの研究も、今後、発展していくかと思いますが、状況に応じて男性脳的な対応力と女性脳的な適応力を備えた人工知能も必要になるのではないかと思います。

 

ただ、これだけのことを理解しているのに、いつも誤った対処で後悔ばかりするアタクシの脳をどうしたもんかというところが、問題でして……

 

え?

(どうにもならん!)

《そこまで言って委員会NP》が面白いほんとうの要素

今日の《そこまで言って委員会NP》も、大変おもしろうございました。

各省の闇に迫る企画で、昨今とかく話題の省の闇を、八人の省庁OBによって暴いていくという、例によって鋭い企画はもちろんですが、今回、特に面白かったのは、それぞれの省を話題にする前に流される、私立霞ヶ関学園での学校ヒエラルキードラマでございました。

 

なぜ、《そこまで言って委員会NP》が面白いのか、その理由の一端が、実はこれらプロローグ的な前説のシナリオにあるのではないかと思いました。

つまり、腕のいい番組構成作家、あるいはシナリオライターの存在が、要因の一つになっているように思います。

 

ショッピングモールのイベントにおける構成作家の手による台本を読む機会がありましたときに、

「え? こんなんでいいの……」

と、正直、思いましたが、《そこまで言って委員会NP》を、そうした構成作家シナリオライターの視点で見ると、情報収集力からそれらをどのように組み合わせて、どんな展開にしてどんなオチにするかのか、そういう総合的な力量がなければ、こえだけのものはできないと感じました。

 

司会進行の辛坊さんや渡辺さん、レギュラー陣やゲストのチョイスといったところの素晴らしさについつい目がいってしまいますが、そうした方々を生かす番組構成が、その基盤になっていることは見落とせません。

 

その構成力をアタシも見倣って拙ブログを……

 

え?

(無理……)

婦人公論・父の日を前に《やっぱり母が重たくて》

五嶋龍氏は、お母様をとても大切に思われていらっしゃいます。

 

五嶋龍氏に限らず、母親を大切に思っておられる方は多く、アタクシも、母にはもっと長く生きてほしかったと思っております。

ですから、改めて言うまでもなく、世間では、母親の愛が謳われ、母親を大切にしよう、感謝しよう、なんてフレーズが出回っているようですが、普段からその気持ちを持っているなら、改めて、

『母の日に感謝の気持ちを……』

なんて必要はない、と考えております、なんてことも、拙ブログでは以前にも申し上げておるかと思います。

 

ただ、ほんとうは母の愛に包まれているのではなく、母の支配に苛まれているケースがあることも、アタクシ、ちょいちょい耳にしておりましたから、その意味でも、母の日をあまり快く見ておりません。

 

ですから、『婦人公論』の最新号で、

《やっぱり母が重たくて》

という特集記事には、なんだか溜飲の下がる思いがいたしました。

ただし、

「なんで、先月の母の日の直前ではなく、今月の父の日の直前に発売なんだ!」

と、心の中で叫びもいたしましたが……

 

え?

(おっさんが女性誌を読んでんのか!)

 

邪道を志す人間でございますから、ときどきのぞいております。

 

ところで、アタクシ、ずっと母の愛情に包まれてきたように感じておりましたが、実はアタシに覚られないように、母はうまく息子を支配していたのではないかと、このごろ、思うようになりました。

 

だから、アタシは正統派に背中を向ける邪道な人間になったのではないか、なんて親不孝なことも考えておるような次第で、こんなことを例によって例の友人に話しましたところ、

「でも、キミの弟さんは、正統派の立派な人生を歩んでおられるよね」