今朝の《サワコの朝》(MBSテレビ)のゲストは、ダンサーの田中みん(さんずい編に民という漢字がありませんのでひらがなでご容赦ださい)さんでした。
恥ずかしながら、田中みんさんを知ったのは、NHK大河ドラマ『龍馬伝』からで、
「こんな役者がいたんだ!」
と、初めて拝見したときの衝撃は、今でも脳裏に焼き付いております。
冒頭、
「言葉のあまりない……」
と、ご自身について述べられながら、田中さんは、些細な疑問でもいい加減に扱わない方のようで、言葉のなかった時代の踊りのついて考え、現代の踊りを、
「文字の翻訳のような踊り」
と喝破され、ご自身、
〈言葉に頼らない踊り〉
を実践されておられるようです。
言葉は、物事を規定し、漠然としていたものを鮮明にしてくれますが、逆に、規定されて鮮明になったせいで、多くの人は、その枠の中に囚われてしまいます。
たとえば、その人のイメージとまったく異なる一面を見た場合でも、
「この人の中ではつながっているんだ」
と、普段は認識するように心がけていましたが、
「嬉しい、悲しいも、つながっている」
という言葉にはっとさせられまして、
「そう思っているはずのアタクシ自身は、言葉による規定に囚われているんだ……」
と思いました。
番組の最後に田中さんが選ばれた一曲が、井上陽水さんの〈決められたリズム〉であるというところにも、田中さんの生き方が象徴されているように感じました。
現代社会には、豊富なボキャブラリーや語彙力の増強が求められる流れがあるように思いますが、ボキャブラリーが不足しているなら、逆に言葉に頼らない方法を考えてもいいように思いました。
え?
(自分のボキャブラリー不足の言い訳に使うな!)
やっぱりわかりましたか……