ここ一年ほど、髪を切っていません。
伸ばした髪を束ねて、総髪に結いたいと思っているからですが、まだ、それには少し足りない今の状態でも、ちょっとやってみますと、
「アーティストみたい」
「ライオンみたい」
といったカッコイイ表現をしてくれる方もいらっしゃれば、
「落ち武者みたい」
とおっしゃる方もいらっしゃいました。
落ち武者なんて比喩は、まだ伸びきっていない髪をうまくとらえて、面白いと思いましたが、中に、
「どうしてそんな髪型なんですか」
と聞く人があって、それに応える前に、横から、
「髪の少ない人への当てつけや!」
と答えた御仁がいらっしゃいました。
ワタクシ、その場で結わえていた髪を戻しました。
これは、たとえば、ポーズをとるボディビルダーに対して、
「脂肪だらけで腹の出た人間への当てつけか!」
と怒る人間と同じかと思います。
目の前の事実からどのような気持ちになるか、ということは、人によって違います。
つまり、事実をどのように解釈するかは、各人の状況によって違うということです。
問題は、自分の解釈を前提に、そやつが他者を否定するところにあります。
さらに、
「それは、そうでない人を馬鹿にしているのか」
という非難の色を帯びて、言われた方に、自分が悪かったのではないか、と思わせてしまうところに、問題は波及します。
一つの言動について、
「これこれの人がいらっしゃるのに、あなたの言動は、その人たちを傷つける」
式の非難に、
「自分は周囲への配慮が足りない人間だ」
と、自責の念を禁じ得ない方も少なくないと思います。
発言する人の立場や状況から考えれば、そうした言動は批判されて当然である、という事例まで擁護するつもりはありませんが、誰かを傷つける、という言い方で非難する人間の急所が、むしろ、ここにあるように思います。
つまり、自分の劣等感を、他者を攻撃することに転移しているのではないかということです。
一つの事実である言動に、不快感を示して非難する人間もいれば、そんなことを感じない方もおられます。
だとするなら、非難されても我々が自責の念を持たなければならない道理はないと思います。
穿った言い方をするなら、そのような非難を投げかける輩には、劣等感から出た悪意が潜んでいるのではないかとさえ思います。
実際、
「髪の少ない人へのあてつけや!」
と宣わった御仁の頭髪は、頭頂からしだいに失われているようでした……