人手不足はチャンスになるのか?

世の中、人手不足だそうです。

でも、人手不足を補う機器を製造販売する企業には、売り上げを向上させるチャンスでもあるようです。

 

歴史から学べば、やがて人で不足は解消され、いずれまた就職氷河期やらリストラの嵐やらに見舞われるのではないかと思いますが、その要因の一つになるのが、たぶん、人で不足を補う機器が普及することではないかと思います。

 

少し前に、将来なくなる職業が話題になっていました。

世の中のIT化にともなって、人員が不要になるという論理だったかと思います。

まさに、今の人手不足は、その前兆であるようにも思えます。

 

一方、携帯電話に使用されていた金属を再利用することによって、東京オリンピックの金メダルが製造されます。

いわゆる都市鉱山と呼ばれるもので、使用済みの携帯電話やパソコンなどの売り買いがされています。

 

ということは、IT化に必要な材料が枯渇する懸念がある、ということになるのではないかと思います。

 

石油の枯渇は、かなり以前から言われていましたから、代替エネルギーの開発も進んでいます。

それを思えば、鉱脈の枯渇もなんとかなるようにも思われます。

ただ、石油の代替エネルギーとして活用が進んでいる証しの一つである黒い太陽光パネルにも、風力発電の象徴である大きな風車にも、おそらく、たくさんの金属が必要でしょうから、そう簡単に解決するようには思えません。

 

人手不足の解消、あるいは人員削減を押し進めるはずのIT化が進んだ先には、破綻するIT化を解消するための人材が必要になる社会が待っているのかもしれません。

そうなると、世の中、やはり人手不足になるようにも思います。

 

ええと、今日は、人手不足はチャンス、なんて話題から始めて、

「でも、アタシは履歴書で落とされていますよ〜ん」

てなオチにするつもりだったんですけど……

『人間の証明』が証明する人間

昨夜、ABCテレビで放映されたスペシャルドラマ、森村誠一先生の『人間の証明』を拝見しました。

 

何度か映画化ドラマ化された作品としての話題性もさることながら、三谷幸喜さんのシナリオで放映されたNHK大河ドラマ新撰組!』以来の、藤原竜也さんと鈴木京香さんの共演も話題になっているようです。

新撰組!』で御両所が関わり合うシーンは、今回の『人間の証明』よりは少なかったように記憶しておりますが、いずれも、それぞれの人間の存在がしっかりと証明されているように思います。

特に、『新撰組!』『人間の証明』、双方に共通する悪女の哀しさ表現した鈴木京香さんには、ただただ感嘆するばかりです。

 

単に鈴木京香さんの魅力にアタクシが参っているだけなのかもしれませんが、もしかすると、〈悪女〉にアタクシは魅かれているのかもしれません。

 

「悪に魅かれる」

と申しますと、不謹慎の誹りを受けかねませんが、フィクションに限らず、悪に魅かれる方は、男女を問わず、少なくないのではないかと思います。

実際、

「なんであんな悪い奴が、こないにステキな女性にもてるんや」

てなケースも多々ございます。

 

実は、森村誠一先生のこの作品が最初に映画化されたときから、『人間の証明』というタイトルにも注目しておりまして、どなたもその点に触れてはいらっしゃいませんが、

《善悪いずれの立場にあっても、人間というものを信頼していない人間こそ、人間がどういう存在であるかということを証明しているのではないか》

と、アタクシ、密かに考えております。

 

ですから、他者を信用していない人や、悪い事をしでかした輩に、

「キミは、人間とはいかなるものか、証明してくれているわけだね」

と、言うこともできるかと思います。

 

こんな話を例によって例の友人に申しましたところ、

「そしたら、キミの場合、人間やないことになるな……」

と、ほめてもらいました……?

なんて、皆さんが想像されるようなオチにしようかと考えておりましたが、つい、

「ほな、キミはどうやねん」

と問い返してしまいましたら、

「キミと違って、ボクは女性にもてるからね」

と、ぬかしやがりました!

 

新入社員に本格の掟を……

昨日、入社式が行われ、明日から新入社員研修が始められるところが多いかと思います。

 

 

先日、久しぶりに会いました友人の姪が、広告業界大手のD通に入社したと申しておりました。

過労自殺問題で、D通はそれまで自社の手帳に掲載していた仕事の鉄則を今年度から削除するという話題は、拙ブログでも触れたかと思いますが、では、削除して、仕事にどのように取り組むべきか、という教育は、どのように転換されるのか、という点が報じられるのは、これからでしょうか?

 

池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』には、

『人を殺めず』『女を犯さず』『盗まれて難儀する者からは盗まず』

という掟を守る盗人を、本格の盗人、そうでない盗人を、〝急ぎ働き〟〝畜生働き〟と称して区別し、それがまたドラマ作りの要素にもなっています。

 

仕事の手順などは、慣れてしまえばどうということはありませんが、もっとも重要なのは何か、という点を疎かにしないことが、研修の最重要事項かと思います。

 

残念ながら、アタクシにはそれが抜けておりますようで、仕事の不備を指摘されましたときには、

「今どき、本格の仕事なんて悠長なことはやってられねえ。〝急ぎ働き〟で何が悪い……」

と、申しましたら、

「どんなにかっこつけても、手抜き仕事、やっつけ仕事でしくじったことに違いはないよな……」

《そこまで言って委員会NP》と《笑点・大喜利》

そこまで言って委員会NP》のスタジオ観覧に、初めて参りました。

 

なるほど、こうやって作られているのか、と感心しながら、

「テレビで見るよりも、圧倒的に面白い!!!」

と、思いました。

 

もう一つ、見ながら思いましたのは、

「これは大喜利やな」

ということです。

 

司会の辛坊さんや渡辺さんも含めて、ずらりと並んだメンバーが、それぞれフリートークを展開していながら、各自が全体の中で何らかの役割を果たしているように感じました。

笑点』の大喜利も、毎度お馴染みの落語家が各自、お題に面白い答を述べながら、司会も含めた全体が一つのチームとして観客や視聴者に笑いを提供しています。

 

方や堅いテーマの討論であり、また一方は笑いを目的とした番組ではありますが、どちらも、見事なチームワークで構成されています。

 

しかも、どちらも読売テレビですから、もしかすると、これはテレビ局の番組制作コンセプトになっているのではないかとも思います。

 

ちなみに、観覧者の受付案内を担当された女性スタッフは、そのまま出演メンバーになってもおかしくないほどの話術を見せてくださいました。

彼女に会うために、また、観覧申し込……

(ゴン!)

痛っ!

ごめんなさい。

ゴルゴ13・パート2 安全対策は旅レジ登録から〜話はそれからにしてもらおう〜

外務省のゴルゴ13シリーズ、第二話が外務省のホームページに掲載されました。

 

ファンにとってたまらないのは、ゴルゴ13の仕事に関わる姿勢を示す決まり文句でしょう。

前回も、本来の劇画の主旨よりも、『うさぎのように臆病』というゴルゴ13の姿勢を表す言葉に、過剰に反応してしまいましたが、今回も、

「俺の質問だけに答えろ」

「話は、〜してからにしてもらおう」

てな台詞に、しびれてしまいました。

 

改めて、どこぞでこの台詞を使ってみようかと思いますが、

たとえば、皆が話しているときにアタクシが割って入って、

「今の話、どういうこと?」

と尋ねて無視され、そこで、

「オレの質問だけに答えろ」

てなことを言うと、

「最初から聞いておけ。話はそれからにしてもらおう」

なんて返されてしまいのではないかと……

 

栃木県の高校生と教諭8人が犠牲となった雪崩事故では、危機管理の甘さが指摘されています。

文科省も、ゴルゴ13に危機管理を依頼すべきではないのか?」

と、例によって例の友人に話しましたところ、

「キミの場合、自分の人生の危機管理ができていない。話はそれができてからにしてもらおう」

安倍首相の『草枕』から……

安倍首相のフェイスブックに、夏目漱石先生の、

「智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。とかくにこの世は住みにくい」

という『草枕』の一節を用いた記述があるそうです。

 

《問い合わせたら関与となる。配慮はなくとも忖度となる。とかくに政治の世は住みにくい》

 

ただ今の日本は、実に教養深き総理大臣を戴いているようです。

 

まあ、パロディとかウィットとか頓知とか、言い方はさまざまあるかと思いますが、いずれにしろ、言葉の意味や表現を杓子定規に覚えているだけでは、機知に富んだ表現はできません。

 

〈人生の坂道を上りながらこう考えた。オレがオレがじゃ叩かれる。諦めたなら引きがある。とかくにこの世は面白い〉

 

最後の〈生きにくい〉を、〈思うに任せぬ〉としてもいいかと思いながら、〈面白い〉とするほうが、楽しくなるのではないかと思います。

 

え?

(間違っているぞ!)

って……

 

〈人生の坂道を転げ落ちながらこう考えた。あのときこうすりゃよかったな。あれは止めとけやよかったな。とかくに人生後悔ばかり〉

 

おあとがよろしいようで……

大喜利の〝お題〟が日本の教育を救う?

長寿番組という尊称を超越して、お化け番組とまで言われる読売テレビの『笑点』の目玉は、何と言っても、大喜利です。

 

基本中の基本は、謎掛けですが、毎週日曜日と決まった大喜利を長く続けるためには、謎掛け以外の〝お題〟が重要になるかと思います。

笑点』の大喜利には台本がある、という噂を耳にすることはありますが、台本のあるなしに関わらず、面白い〝お題〟を捻り出さなければ、『笑点』の大喜利は成立しません。

 

近年、学校教育では、ディベートがよく行われているようです。

ただ、ディベートを実施される先生の中には、ディベートの〝お題〟も生徒に考えさせる先生もいらっしゃるそうです。

 

論文を書くための第一段階は、問題を提起することです。

ただ、日本の教育システムでは、問題を提起させるための授業は、基本的に行われていません。

 

ですが、ディベートの〝お題〟を考えさせるという方法は、問題を提起させる力をつけさせるための、一つのきっかけになるかと思います。

 

もちろん、毎週日曜日に『笑点』の大喜利を見て、その答にどれほど笑えるかではなく、どんな〝お題〟が出されているのかに注目すると、論文が書けるようになるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

 

ちなみに、7月23日(日)に古々粋亭で開催いたします《三題噺の会》では、台本なしの大喜利も予定しておりますので、特に、学校の先生方には、参考になるかと……

 

え?

(ボカ!)

ひどい、あんまりだわ!