サワコの朝から〜松本伊代さんの教え〜

「ちょっと待て。今日のサワコの朝(MBSテレビ)のゲストは、タレントのヒロミ氏じゃなかったのか……」

アタクシ、松本伊代さんと結婚したヒロミ氏を、実は快く思っておりません。

ですから、今日はサワコの朝を見ないでおこうかと思っておりましたが、ゲストが誰だったのかすっかり忘れて、うっかり見てしまいました……

 

当然、松本伊代さんのことも話題になって、テレビに再び登場するときにヒロミ氏は、

「《感謝・謙虚・作り笑い》だよ」

と、彼女に言われたそうです。

 

芸能界に限らず、謙虚な姿勢で感謝の気持ちを表す、というところと、そして笑顔を絶やさないと言う点は、社会を渡っていくために忘れてはならないことかと思います。

ただ、そこに“作り笑い”が入ってきますと、“感謝”と“謙虚”の嘘くさくなってしまうのではないかと思います。

 

でも、嘘くさいのを承知で渉っていかなければならないのが大人の社会で、ヒロミ氏も、

「芸能界の人は、みんな大人だから……」

なんてこともおっしゃていました。

 

まあ、誰に対しても心からの笑顔を向けるのは至難の業であることに違いありませんから、まさに的を射た言葉かとも思いますが、さすがは松本伊代さんです。

まだ十六歳の女の子の言葉とは思えません……

ブラックと組み合わせると面白いかもしれない言葉

言葉は組み合わせると面白くなります。

 

企業にブラックがついて、たちまち労基法に反する企業に貼られるレッテルが誕生してから、ブラックバイトや最近はブラック部活と、学校のクラブ活動とも組み合わされて、世の中にブラックが浸透しておりますが、なぜかブラック協会だとかブラック政党だとかブラック省庁だとかブラックテレビだとかブラック新聞だとかブラック病院だとかブラック宗教だとか、いくらでも出て来てもよさそうに思いますのに、なかなかお目にかかれないのは、それぞれの業界で法律が遵守されているのか、あるいはよく言えば組織防衛、ぶっちゃけた言い方をすると、隠蔽工作が行き届いているせいでありましょうか……

 

もう一つ、話題になっておりますのが、チルドレンかと思います。

古くは小泉チルドレンから始まって、安倍チルドレンに小池チルドレンと出て来ておりますが、どうもこのチルドレンの中にはブラックチルドレンが少なくないようです。

 

ブラックの組み合わせの妙で言うなら、かの手塚治虫先生の『ブラックジャック』や平松伸二先生の『ブラックエンジェル』といったところが秀逸かと思います。

藤子不二雄先生の『笑うセールスマン』も、『ブラックセールスマン』としても面白かったのではないかと思いますが、“ブラック”とせず“笑う”としたところに、大ヒットの要因があったのかもしれません。

 

そいえば、『仮面ライダーブラック』もあって、ブラックは本来かっこいいものに付される称号のようにも思います。

 

そう考えますと、拙ブログなんぞも、『ブラックブログ』てな言われ方をされても……

 

ボカ! ドス! ゴン!

(久しぶりに)ズキューン!

高瀬耕造アナウンサーの沈黙の意味

今朝のNHKおはよう日本』の〈世界のニュースザッピング〉で、会話の沈黙をおそれない、という映像の中で、

「沈黙を恐れてはいけない。沈黙はアイデアを得るために必要だ」

といった主旨の発言がなされたあとで、

「私のあとうけ(おそらく映像に対するコメント)のあとの沈黙にも何か意味があると……」

と、高瀬耕造アナウンサーが、いつもの微笑をたたえた表情を崩さずに述べられました。

 

言葉を変えると、

「私のボケのあとに白けても、何か意味がある……」

ということになるかと思います。

 

以前にご紹介いたしました、

「いらぬ殺生をしてしまった」

もそうですが、一介のNHKアナウンサーにしておくには、あまりに惜しい人材ではないかと思わせるほどの、“あとうけ”でございます。

 

ある程度の緊張感を前面に押し出さなければならない朝のNHKのニュース番組にあって、クールでありながらボケるという手法は、厳粛な場において笑うなどとは許されない風潮、あるいはお笑いはお笑いという決まった時間と空間の中でしか認められないという慣習、これまでの日本にはなかった試みかと思います。

 

そんな話を例によって例の友人にいたしましたところ、

「キミもそうしたことをやってきたではないか」

などと珍しくほめてくれましたので、

「いや、そんな覚えはないよ」

と答えましたら、

「緊張感のあるその場の空気も読まずにシャレをかまして、何度もしくじってきたやないか」

知的な会話の実践例

大学の先生方とお話ができるということは、教養のある知的な会話が実践的に学べるということかと思います。

 

「昨日、JRが遅れて遅刻する学生は、たいがい遅延証明を持ってくるんですけど、ここの最寄りの駅は、大学に連絡していますから、と言って、遅延証明を出さないんですよ」

「じゃあ、電車が遅れて遅刻する学生は、どうするんですか」

「遅刻してきた学生は口頭で、『遅延で』と言って入って来ます」

「中には、電車通学じゃない学生もいるでしょう」

「ええ、昨日も『遅延で』と何人か入ってきたんですが、最後の一人は自転車通学の学生で、やっぱり『ちえんで』と言いますから、キミは自転車通学だろと、言いましたら、『ええ、ですから自転車のチェーンで……』」

 

「岩盤規制に穴をあける、ということが言われてますが、岩盤だから規制になるんですよね」

「そうです。穴をあけるときには、ドリルがいります」

「やっぱり、最近はやりの、うんこドリルかなんかで」

「まあ、うんこみたいな規制ですから」

 

「車のタイヤを買いに行ったら、『アルミタイヤ、あるみたいや』という看板がありましたよ」

「新幹線の車内電光版に、『ある意味アルミです』という広告が出ますよ」

 

これを例の友人に申しましたところ、

「たとえ相手が大学の先生がたであっても、キミのいつもの会話のパターンを〝知的〟と表現すると、日本の……」

 

え?

(今日のオチ、長い!)

 

 

双葉文庫『妖異』〜オリジナリティ〜

かつて書店に並んでおりました短編小説のアンソロジーは、それほど面白くない作品の寄せ集めのように感じておりましたが、再びブームになっているのでしょうか、アンソロジーが書店で目につくようになりました。

 

やっぱり面白くない小説ばかりが並んでいるんではないかと思いながらも、恥ずかしながら、長編小説を読み通すだけの根性に欠けるアタクシ、特に、双葉文庫の『妖異』や『幻異』てなタイトルには、ついつい手が伸びてしまいます。

 

『妖異』には、アタクシの存じておりません作家の作品が載っておりまして、プロフィールを読みますと、大下宇陀児先生は九州帝国大学で学ばれて1966年に亡くなられており、その前年に亡くなった大坪砂男先生は警視庁の鑑識課に奉職されたこともある方で、今からすると間違いなく古い小説なんですが、

「なんて自由な発想で、なんて教養があるんだろう」

と感嘆いたします。

 

下手な小説を書く身といたしましては、小説に必要なオリジナリティを奪うことになっているんだとわかっていながら、昨今流行りの小説をつつい意識してしまい、さて、己になにほどの個性があるのだと考えてしまいがちでありましたが、温故知新とはよく言ったもので、古い小説から新たなオリジナリティを知らされた次第であります。

 

これを例によって例の友人に語りましたところ、

「でも、キミの場合、やっぱりオリジナリティは出せないよね」

佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』と『ああ面白かったと言って死にたい』

作家、佐藤愛子さんの御著書には、目を引かれます。

たとえば、

『九十歳。何がめでたい』(小学館

なんてタイトルは、そのままアタクシ、腹で思うておりましても口には出さなかった言葉でございました。

長寿がめでたいとされる世の中で、

「長生きのどこがめでたい……」

とお考えの方は、実は少なくないのではないかと思います。

 

以前、ある坊さんが、お年寄りに、

「長生きできていいですね」

と言ったところ、

「あんたにそれがわかるのか」

と返された話を聞いたことがあります。

 

アタクシ自身も、そんなに長生きしなくてもいい、と思っております。

 

ただ、長く生きるよりも、これも佐藤愛子さんの御著書のタイトルのように、

『ああ面白かったと言って死にたい』(海竜社)

てな人生でありたいな、とも思っております。

 

そんな話を例の友人にいたしましたら、珍しく感心されました。

「買って読んでもいないのに、タイトルだけでよくもまあ、それらしく話ができるなぁ……」

 

え?

(そんなことより問題は、どないしたら「ああ面白かった」と言うて死ねるかやろ……)

え?

(「今日も面白かった」というブログやないなあ……)

え?

(月曜の朝からこんな話をされてもなあ……)

え?

(オチに困ってるやろ)

え?

(最初、『藍子さん』になってたぞ!)

《そこまで言って委員会NP》を教育現場に!

本日の《そこまで言って委員会NP》は、新聞家の六つ子に擬えて主要新聞六社の記事を比較するばかりか、読売テレビであるにも関わらず、朝日新聞毎日新聞産経新聞から論者を招いてそれぞれの主張に切り込むという、他では考えられないような夢の競演を実現していました。

 

昨今、新聞を使って考える力を養成しようなんて取り組みがなされたり、コラムの書写てなことを推奨したりと、教育現場に新聞を取り入れる試みがなされていますが、今日の《そこまで言って委員会NP》を見せるだけで、生徒のモチベーションを上げ、さらに視野を広げ、思考力を増強することができるのえはないかと思います。

 

番組では、女子高生を登場させたり、高校の生徒会を舞台にしたりと、これまでにも教育現場を使ってわかりやすい説明を、Eテレそこのけに行っていますから、そっくりそのまま視聴させてもいいように思います。

しかも、そこに必ず笑いの要素が入れてあり、意見の違う人とどのように議論するか、という手本にもなるのではないかと思います。

 

ただ、

「民放番組を教育現場に持ち込むのは、如何なものか……」

てな慎重論が出るかとも思いますが、そうした意見が出ることも前提にして、

『《そこまで言って委員会NP》を教育現場に持ち込むことについて』

なんてテーマを、《そこまで言って委員会NP》で議論するなんて企画は、面白いと思いますが、どないでっしゃろ……