才能の問題

《才能》とは何でしょうか?

 

「ボールが止まって見える」

と、口にする、名打者と呼ばれる野球選手には、動態視力という《才能》が備わっているようです。

たった一度、耳にしたメロディーをすぐに歌える歌手には、優れた音感が、《才能》として備わっているのでしょう。

お笑い芸人の中には、その容貌や仕草だけで人を笑わせる《才能》を備えている人がいます。いわゆる、フラがあるという人です。

私の友人の一人は、見知らぬ場所の迷い込んでも、見事な方向感覚を見せてくれます。

 

一方で、

「私の才能は、いつでもどこでもすぐに眠れることです」

と、冗談半分で言う人がいます。

以前、私が務めていた会社には、仕事はたいしてできないけれど、初対面の人に見事なあだ名を付ける人がいました。

「すごい才能だ」

と私は思っていましたが、そのネーミングの達人は、自分が思いついたあだ名を本人に知らせることはありませんでした。トラブルの原因になるかもしれませんから……

 

一般社会では、仕事や生活の役に立つという点が、

《才能がある》

とうことの、暗黙の基準になっているようですが、それをなくして考えると、世界は、

《ものすごい才能の持ち主》

で溢れるのではないかと思います。

 

ただ、問題は、

「そんな《私の才能》に、いったい誰が気づいてくれるの?」

というところです……