カルチャーセンターなど、お稽古ごとに勤しむ人は少なくありません。
その教室に通われている生徒さんのための発表会や、そのお稽古ごとの全国大会も開催されているようです。
そうした発表会、全国大会に参加するためには、それなりの出費も必要ですし、その教室に長く通っている人などは、それなりの自負を持って発表会や大会に臨んでおられます。
ですから、
「どうしてアタシ(もしくはワシ)よりも、あの人の方がいいポジションにいられるの! アタシ(もしくはワシ)の方が教室にも貢献しているし、お金も余分に出しているのよ!」
てな不満を噴出させるわからず屋も出て参ります。
定年退職後に、地域の活動や趣味のグループに入る方もたくさんいらっしゃいます。
最初は、いろいろ学ぶことから始めなければならないところを、サラリーマン時代の習性か、部下でもないスタッフやボランティアで手伝ってくださっている方に、
「これはコピーしてくれ」
から始まって、
「ちゃんと教えろ」
「ここはこうすべきじゃないのか」
と命令する方がいらっしゃるようです。
「『論語に、〝学びて思わざれば則ち罔(くら)し 思ひて学ばざれば則ち殆(あやう)し〟とあるが、こんな連中は、論語以前に、学ぶとはどういうことかを考えない、思わない輩で、今までどうやって社会生活を営んできたのだろうと、不思議に思うよ。みんなもそう思うだろう。ははははは……』と、我々後輩を飲みに誘ってはこんな話を長々としながら豪快に笑って同意を求めるお稽古ごとの先輩にみんな閉口しているんだけど、誘いを断ると怒るんだよ〜」
という話を、先日、某カルチャーセンターに通う友人がこぼしていました。
古来、日本では、《盗む》、《真似る》ところから始めるのが、学ぶことでした。
最初に学ぶべきことは、
〝人の振り見て我が振り直せ〟
もちろん、他人様のことを申し上げたのではございません。