桜だけ、それもソメイヨシノに限って、開花宣言報道されるのは不公平ではないかと思っているのは、私だけでしょうか。
同じ春の花なら、梅に鶯、観梅という言葉があり、平安の昔は、日本の花の代表だった梅でもいいのではないかと思います。
文字から言えば、木偏に春と書く椿も、同等に扱うべきではないかと思います。
あるいは、お彼岸の頃に咲くことを考えれば、彼岸花、曼珠沙華でもいいのではないかと思います。
ただ、桜は、暖くなり始めた時期に咲いて、満開になった頃に、桜の木の下で花見の宴を催すことができます。花見が、コミュニュケーションの場になるから、桜はこれほど特別視されるのではないかとも思います。
確かに、曼珠沙華を囲んで花見の宴では盛り上がりませんが、それほど日本人が桜にこだわるのは、あるいは坂口安吾氏の小説のように、日本人の感情を狂おしくかき立てる何かが、桜にはあるからなのかもしれません。
菊だけ、人形に着せられて展示されるのは不公平ではないかと思っているのは、私でけでしょうか。
でも、桜とはまた違った風情があるばかりではなく、桜のように短時間で見頃を終えるわけではないところが、人形に着せるのに菊が適しているのかもしれません。
確かに、桜人形ではあまりにはかなく、曼珠沙華人形では菊人形とは違う何かが感じられてぞくぞくするかもしれませんが……
菜の花だけ、畑にされるのは不公平ではないかと思っているのは、私だけでしょうか。
確かに、黄色い菜の花畑ではなく、真っ赤な満曼珠沙華畑では、俳句の趣も違って妖しい日暮れになるかもしれませんが……
カーネーションだけ、母の日に贈る花にされるのは不公平ではないかと思っているのは、私だけでしょうか。
確かに、母の日に曼珠沙華を贈ると、ママがどんな顔をするか、非常に興味深くはありますが……
曼珠沙華だけ、花屋で売られていないのは不公平ではないかと思っているのは、私だけでしょうか……