インチキ幸福論

猫は後悔しないそうです。

反省のポーズを見せて人間の喝采を浴びる猿がいますが、実際に反省しているわけではなさそうです。

動物園の中にあっても、ササをかじってでんぐり返るパンダは、幸せそうです。

人間と動物の違いは、言葉を使って過去とか未来とか、あるいは抽象的な概念思考ができるかどうかという点にあるようです。

ですから、《山月記》の李徴は、虎になった方が幸せになれるわけです。

でも、逆に考えると、人間であっても幸せになれるということも言えそうです。

後悔も反省もしなければ、幸せとは何ぞやということで悩むこともない。もっと言うと、幸せという抽象的な概念、言葉すらを知らなければ、それが一番の幸せなのかもしれません。

 

そう考えると、前向きな気持ち、ポジティブな思考が幸せになるためには重要だという教えも、却って人を不幸にするのではないかと思います。

「ポジティブな思考をしなければ……」

と思った瞬間、ネガティブな自分は不幸だという認識に至りますし、何より、何かにとらわれること、執着すること自体が幸せを遠ざける要因になってしまいますから……

 

そんな矛盾を抱えている人間に、幸せが訪れることはないかと思いますが、それでも、ときどき、猫のように後悔することがなく、猿のようにポーズだけで実際に反省することもないという人に遭遇することがあります。フィットネス倶楽部に通って、こっそりパンダのようにでんぐり返っているかもしれません。

彼らこそ、真に幸福な人間と言えるのではないかと思います。

いえ、人間ではなく、猫や猿、パンダや虎に近いからこそ、幸せでいられる……

だから、酔っぱらいをトラと称するわけで……

 

こんな訳の分からないことを考えているうちは、嫌なことを忘れていられます。

《現実逃避》

これこそが、人間の唯一の幸せかもしれません。