長年、貧乏神と縁の切れない男が、貧乏神に恩返しを求めたところ、
「では、神社を建ててくれ」
と言うのに従って貧乏神を祀る神社を建てましたところ、参拝客が押し掛けてお賽銭がたくさん得られました。
不思議に思って、
「貧乏神の神社なのに、どうしてこんなに参拝客が押し寄せるのか」
と、男が尋ねたところ、貧乏神は、
「参拝に来なければ、こちらからそちらに行く、と皆に言うてやった」
貧乏神は本当は神様なのに、水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』では、死神同様、すっかり妖怪にされています。
トイレの神様はきれいな女神様として歌われるようになってから尊ばれているのに、貧乏神、死神、疫病神といった三神は、神様なのに、妖怪扱いされています。
これは不当な扱いではないかと常々思っているアタクシは、毎年この三神を祀る神社に初詣に参りたいと思っているわけですが、どういうわけかその神社がありませんので、いまだに参拝できて……
え?
貧乏神神社なら、長野県飯田市にある?
パワースポットとされて人気がある?
ええと……
この話を例によって例の友人に申しましたところ、
「キミの場合、わざわざ長野県まで行かなくても、いつも側にいるやないか、貧乏神と……」
「そしたら、アタクシからそっち行くぞと周りのみんなに言うたら、皆、お賽銭くれて貧乏と縁が切れるかな」
「でも、貧乏神と縁が切れたら、誰もお賽銭なんかくれんようになって、貧乏になるで」