昨日、なでしこ練習会にうかがいました。
台風が接近しているために、各地で予定されていたイベントが中止になる中、多分、いつものように開催されるだろうと、確認することなく足を運びました。
もちろん、開催されていましたが、台風でお客は少ないだろうと思いきや、却っていつもより多いのではないかと思うほど盛況でした。
前回同様、皆さん、それぞれの課題を持って高座に上がっていらっしゃいましたが、なかなかどうして、ステキな落語を見せてもらいました。
台風の影響による交通機関の休止が懸念されるために、終演後の意見交換などは手短に行われるというお話でしたので、アタクシも早々に退去いたしましたが、そこにおいでになられた、上方のアマチュア落語界の名人と称される千里家師、立の家猿之助師、田舎家かかし師と一杯酌み交わしながら、三師の落語談義、芸談義を拝聴することができました。
面白かったのは、その噺の背景や場面の状況まで、声の出し方、上下の付け方、所作に至るまで、理論的に構築するべきなのか、笑いが取れるならそんなところにこだわる必要はないのではないかと、という議論でした。
この議論は、先日、購入いたしました、安田清人氏の『時代劇の「嘘」と「演出」』(洋泉社)の、
〈時代劇の時代考証をどこまで重視するか〉
というテーマと同じで、
「エンターテイメント性や笑いを追及するか、史実やリアリティを尊重するか」
という議論は、つまりは制作現場が、あるいは演者がどこに妥協点を見出すか、というところに尽きるかと思いますが、そのさじ加減は、やはり難しいように思います。
師匠と一対一で向かい合ってお稽古をつけてもらう落語は、その師の考え方によってこだわったり寛容だったりするようですが、アマチュア落語においては、
「その人に、落語を好きになってもらいたいという気持ちを持って、皆さんの落語に接しています」
とおっしゃった田舎家かかし師の言葉に尽きるように思いました。
え?
(華やかななでしこ練習会のレポートやのに、なんでオッサンの落語談義を読まされなあかんねん!)