「人間だから失敗もするよね。くよくよしないでくださいね」
という優しい、癒しのメッセージとして広く世の中で使われ、また、座右の銘にされている方も多いのではないかと思います。
でも、それって、人間と言う言葉のいい面を都合よく使っているだけやおまへんのか~なんて思うておりますのは、アタクシだけでございましょうね……
もうちょっと突っ込んで申し上げますと、この『にんげんだもの』の後に、「にんげんだもの、罪を犯すこともあるんじゃないの?」というセリフを持ってくることもできるんやないかと思うておりますが、いかがなもんでございましょう。
たとえば、犯罪に手を染めてしまうのは人間だけです。ですから、犯罪者を「あいつは人間やない」と非難するのは、言葉の厳密な意味から考えるなら、間違うてるんやないかと思います。
先ほど、以前、声をかけられたオッサンにまた話しかけれて、芥川龍之介先生の『杜子春』で、仙人になるために無言を貫いていた主人公、杜子春が最後に父母を呼んで声を出したところを、人間的だ、とそのオッサンは感動を表明してくれましたが、いや、目標達成のために無言を貫いたとしても、人間的なんやおまへんのか~?と反論を試みましたら、自分の小説が採用されなかったと言うて放火して何十人も死なせた犯人は金のために小説書いてた奴で、人間ではない、と、話をすり替えて、なんや糾弾を始めました。そこでも、その犯人、ほんまに金のためやったんですか、と尋ねて、精神鑑定もされてその生い立ちにも関係があるんとちゃいまっか~と言いましたら、いや、そうに違いない、と頑なにおっしゃるだけで、客観的な証拠、証言をもとにそう主張されてたわけやないようでした。
池波正太郎先生が「人間というのは妙な生き物よ。悪いことをしながら善いこともし、善いことをしながら悪事を働く」ということを『鬼平犯科帳』に記されています。
しまった、これ、言うのを忘れてた、と思いましたのは後の祭りで、ついうっかり、
「そんな自分だけの勝手な思い込みの主張を持つのはかまいませんが、私に向かって主張するのはやめてください!」
と言うてしまいました~
それ聞いて、オッサン、しゅっとどっか行ってしまいました。