「(反則を)やるなら(試合に)出してやる」という表現法

アメリカンフットボール日本大学関西学院大学の定期戦で悪質な反則行為があった問題について、監督が反則を指示したと考えられる状況を、メデイアはいくつか報じていますが、注目すべきは、選手が、

「(反則を)やるなら(試合に)出してやると監督に言われた」

と周囲に話していたという複数の報道で、( )付きの〝反則を〟と〝試合に〟という部分について、なぜそのように( )が付いているのか、もう少し説明がほしいな、と思いましたのは、アタクシだけでしょうか……

 

監督は、選手の反則行為について、

「大きな混乱を招いてしまった」

と謝罪したそうですが、監督は指示しなかったのか、それとも明確に指示したのか、あるいは、

「言わんでも、わかってるな?」

てな蜥蜴のしっぽ切りを得意とする輩の常套手段的表現法を駆使したのか、てなところも皆さん同様、気になります。

 

承知の上で悪質な反則に及んだ選手も、

「親分のためなら死んでまいりやす」

なんて忠誠心からやったとも思えませんが、そんなことをするとどうなるかということぐらいは、ドラマや映画だけではなく現実にも見られることでしょうから、ちょいと想像力を働かせればよかったようにも思いますが、そんなことすら考えられないような状況に置かれていたのでしょうか……

 

反則を受けて負傷した選手生命も案じられます。

 

かつて週刊少年マガジン講談社)に掲載されていた梶原一騎先生原作の『タイガーマスク』(作画・辻なおき先生)ではありませんが、虎の穴のエージェント、ミスターXの、

「リング上での殺人は許される」

みたいな発想でルールを蔑ろにする族が現実に存在するなら、そやつらはスポーツに携わる資格のない奴ばらに堕するように思います。

 

《( )付きの報道はどうやねん!》

てな話をしようと思うてましたのに、こんなマジメことを書いてオチがつけられなくなってしまうなんて、想像力が足りないのは、アタクシのほうだったようで……