小林幸子さんと美樹克彦さんがデュエットで歌った、昭和の名曲『もしかしてパート2』(作詞・榊みちこさん、作曲・美樹克彦さん)には、
「ねえあなた 素直に信じていいのね」
と女性が歌う歌詞があります。
浜圭介さんと桂銀淑さんの、同じく昭和の名曲デュエット『北空港』(作詞・やしろようさん 作曲・浜圭介さん)でも、
「信じてもいいですね。もうあなただけ」
と女性が歌います。
といって、男性を信じて女性がついていく時代でないことは、平成から令和に至ってこうしたデュエット曲が生まれていないことが証明しているように思います。
でも、女性は、いえ、人間は、何かを信じなければ生きていけないのかもしれません。信じることによって、よりどころができますから。ただし、確かなよりどころとなるのは、現代は、人よりお金、でしょうか。〝信じる〟の近辺に浮遊する〝依存〟や〝執着〟を遠ざけるためにも、いいかもしれませんね…… (金に執着!) あれ?
ちょっとやっかいなのは、自身の存在を肯定するために信じる、ことではないかと思います。
たとえば、昨今問題視されている、陰謀論を信じている人の話を聞いておりますと、世界的に暗躍する闇の組織の存在を知っている私は、それを信じないあなたより上位に位置する、という、選民思想の臭いが感じられます。
この宗教を信じている私は、優先的に極楽に行けますねん、みたいなことですみゃあよろしゅうございますが、これが、自分の優位性を示すための方便としてその価値観が押し付けられようものならどうなるかということは、改めて示すまでもないかと思います。
〝信じる〟ということは、実はかなり難しいことかもしれません。
何より、「信じる」と口にすること自体、信じていないかもしれない、という心を隠している場合も、決して珍しいことではありません。
「私はあなたを信じているのよ。浮気なんかしていないわよね」
『もしかしてパート2』の「信じていいのね」も、
『北空港』の「信じていいですね」
も、ただ念を押しているだけです。まだ信じていません。
ほんとうに信頼関係があるなら、むしろ、〝信じる〟なんて言葉が出てくることはないように思います。
そしたら、〝信じる〟がこぼれそうになったときにはどないしたらええんや?
そんなときには、五木ひろしさんがお歌いになった、やっぱり昭和の名曲『おはん』(作詞・たかたかしさん 作曲・岡千秋さん)を口ずさむのがいいかもしれません。
「だましてください。最後まで~」