今日のゴルゴ13〜善意に甘えるほど危険なものはない〜

本日のゴルゴ13の日めくりの言葉は,

《善意に甘えるほど危険なものはない》

です。

これに、

「相手が見返りを要求する場合もある」

《ただほど高いものはない》

という解説もついています。

 

落語にも、

《旨きもの食わす者に油断すな》

ということわざが出てきます。

 

昔、深夜、電車もなくなった時間に職場からわざわざ遠回りをして送ってくださる方がいらっしゃっいましたて、アタクシ、その方の厚意に甘えておりましたら、高速道路上で急に停車して、

「降りてくれ」

と言われました。

驚いたアタクシが、その理由を問いましたところ、

「話が面白くなくなった」

それから、アタクシ、必死の思いで面白いことを話し続けました……

おかげで、アタクシ、どんなときにも面白いことが言えるようになったというわけでありますから、

《善意に甘えるほど危険なことはない》

なんて戒めなどはどこ吹く風とばかりに、今も人様の善意に甘えて生きております。

 

相手が求めるものを返すことができるなら、善意に甘えていいのではないかと思います。

 

これを例によって例の友人に語りましたところ、

「キミの場合,あとでキミに高額な見返りを要求しても無駄だとみんなわかっているからねぇ……」

さらにそのあとで、

「ところで、キミはしばらくゴルゴ13の日めくりカレンダーの言葉をネタにブログを更新しようと目論んでいるないよね?」

用件を聞こうか…… 《ゴルゴ13 連載50周年記念特別展》

大坂文化館・天保山で開催されている『ゴルゴ13 連載50周年記念特別展』に行ってしまいました……

それほどの人出でもなく、

「マニアを集めるだけで、そんなにたいしたことはないだろう」

と、思っていましたが、滞在時間3時間、有名な画家の作品を集めた美術展の勝るとも劣らない内容でした。

 

いえ、作品世界だけではなく,ゴルゴ13のアーマライトで狙撃を体験出来るコーナーもあり、さらにさいとうたかを先生が始められた分業制やシナリオから原稿が出来上がるまでの制作過程にいたるまでの展示もありましたから、アタクシにしてみれば,通常の美術展を鑑賞するよりはるかに有意義な時間が過ごせたように思います。

 

ちなみに、いつもなら買わないような、トートバッグや日めくりカレンダーまで買ってしまい、今日の日めくりカレンダーの言葉は、

《〝男〟なら、他を当たってくれ》

で、ゴルゴ13に引き寄せられる女性に言い放つ言葉ですが、アタクシはこれをいつかは口にしたいと……

 

え?

(死んでもない!)

 

ちなみに、会場を出てすぐに、

「おれの背後に立つな」

という、例の台詞の入った等身大のパネルがありましたから、アタクシ,その背後に立って,

「後ろを取ったぞ」

と言い放ったところを、会場係の女性に見られてしまいました……

《そこまで言って委員会NP》〜気象予報士・蓬莱大介さんの〈熱い男〉の条件〜

本日の《そこまで言って委員会NP》は、映画を通して社会問題を俎上にあげるという企画で,映画解説は,かの淀川長治先生をトレードマークである、動く眉と眼鏡の小道具を用いた須田慎一郎さんでした。

その須田さんの解説の後で、論点が提示されて専門家を招いて、いつものように激論が交わされていましたが,もっとも面白かったのは、『不都合な真実2 放置された地球』を題材にしたコーナーで、レギュラーの竹田恒泰さんと気象予報士蓬莱大介さんとの、思いもよらないバトルでした。

 

蓬莱さんの、テレビで見る気象予報をはるかに越えた地球環境についての見識の深さもさることながら、圧巻は、激した竹田さんを矛先をするりとかわすように、

「どちらが感情的になっているか」

と周囲に問いかけた蓬莱さんの応対に、一同爆笑したところで、彼がただの気象予報士ではないというだけではなく、辛坊治郎議長をして、

「以外に熱い男」

と言わしめたことから、その人柄の一端が見えたように思いました。

 

〈熱い男〉

というのは、普段から熱血を看板にしているのではなく,ここぞというところでそれを見せてくれる、かっこいい男だということを教えられてように思いました。

 

これを例によって例の友人に語り、

「アタクシも、今までのようにいつも熱く語るのではなく,ここぞと言う時に語るようにするよ」

と申しましたところ、

「キミの場合,問題は、どうすれば熱く語れるかという語り方にあるのではなく,薄っぺらな内容ではどうやっても熱く語れるはずはない、という点にあるよね」

サワコの朝から〜檀ふみさんの言葉〜

サワコの朝(MBSテレビ)300回記念、檀ふみさんをゲストに招いての、今日は先週に続いての後半が放送されました。

 

聞いていてお二人の会話が楽しいのは,単純に、三十年来の親友だからというのではなく、お二人の中に豊富な語彙が蓄えられているからではないかと感じました。

 

たとえば、檀ふみさんは、お父様がいつ怒るかわからない状況を、

「どこに逆鱗がひそんでいるかわかりませんから……」

と表現され,、エッセイの連載を引き受けようかどうか迷う阿川佐和子さんに、

「週に1回必ず幸せになる」

とおっしゃって背中を押されたりしたエピソードは、檀ふみさんの言葉の豊かさを表すものかと思います。

 

その高い言語能力をお持ちの檀ふみさんと30年来の親友でいらっしゃる阿川佐和子さんにも、当然,それに相当するだけの言葉の力がおありかと思いますし,なにより、そうでなければ、これだけインタビュー番組を続けてはいけません。

 

《類は友を呼ぶ》

とは、よからぬ仲間が集まる時に使われる場合が多いかと思いますが,それは、よからぬ仲間が使用する言語のなせる業でもあるかと思います。

 

もしそうなら、

《言葉は友を呼ぶ》

と言い換えてもいいように思います。

 

こんなことを例によって例の友人に語ろうといたしましたところ、

「先に言っておくが,キミの語彙力と、ボクの言語能力には、天と地ほどの違いがあるからね」

と申しましたから,

「でも、我々はワレワレの世界の人間だよね」

 

もちろん、拙ブログをお読みのアナタも……

 

ボカ! ドス! ゴン! ムギュ〜!

小泉新次郎氏の無言応援演説

一昨日、千葉県松戸市衆議院選挙の応援演説に訪れた自由民主党の小泉新次郎氏と立憲民主党枝野幸男代表がかち合って、小泉新次郎氏は無言の応援演説を行ったそうです。

 

「巧みに美しく飾っただけの言葉、真実みのない言葉」

という意味の四字熟語、

〈美辞麗句〉

は、よく知られているかと思いますが、その割には世間にはびこっているように思われます。

 

同じ四字熟語でも、御存知の方は皆無ではないかと思われるのが、

「簡潔な言葉の中に、深い意味や道理が含まれていること。微妙な表現の中に含まれた奥深い総理」

という意味の、

〈微言大義

です。

 

孔子仏陀に限らず,人徳の備わった方は、大げさな物言いはなさいません。

日常のさりげない情景をとらえて語った言葉の中に、深い意味が込められています。

それを受け取るのは、まさに聴き手次第かと思います。

 

かつて、桂枝雀師匠は、高座に上がってにこにこするだけでお客様が笑う情景を理想とされていたそうです。

あるいは、戦後、日本語のわからないアメリカ進駐軍の軍人を、名人と呼ばれるある落語家が泣かせたという話を読んだことがあります。

 

百万の言葉を並べるよりは,たった一言、あるいは無言であることの方が、はるかに人々を引きつけるということを、小泉新次郎氏は思い出させてくれました。

 

アタクシも改めて、多言を慎み、無言で聴衆を引きつけようかと……

 

と、例によって例の友人に語ろうといたしましたところ、

「小泉新次郎氏が来たということに意味があり、普段、弁舌爽やかなその小泉新次郎氏が無言だったからこそ、話題になったというこことで、キミがそれを真似るというのは、鵜の真似をする烏と同じである」

「ええと、それって〈微言大義〉なの、それとも……」

 

ボカ! ドス! ゴン!

 

誰や!

文春の『緑のたぬき』か新潮の『傾国』か……

本日発売の週刊文春週刊新潮の広告の見出しが面白うございます。

 

いずれも小池百合子氏と緑の党をトップで扱われておられまして、文春の、

『小池[緑のたぬき]の化けの皮を剥ぐ!』

は、緑の党小池百合子氏が国民を誑かしているかのようなイメージを、シャレを効かせて揶揄しているところが、秀逸かと存じます。

 

一方、新潮は、

『傾国の「小池百合子」』

と題しておりまして、絶滅危惧的単語である〈傾国〉を使っておられるところに、アタクシ,気骨を感じております。

為政者の心を惑わせて国を傾けるほどの美女に冠せられる〈傾国〉なる言葉をお使いになるのは,もはや伝統あるマスコミの編集者ぐらいではないかと思います。

 

同じく,衆議院選挙の候補者に上がった人物をまとめて,文春は、

希望の党の「絶望の候補」リスト』

と、これも巧みに対句的表現を用いておりますが,新潮は、

『「希望の党」のポンコツリスト』

と、こちらも準絶滅危惧的単語であると思われる〈ポンコツ〉を起用しています。

 

新潮は、他にも,

〈手札〉〈剣が峰〉〈老兵〉〈下馬〉

などといった、言葉が活躍しておりますが、だからと言って、まったくシャレが効いていないわけではないようです。

『ユリノミクスは「ユリコのミス」』

 

落語に携わる人間といたしましては文春に軍配を上げたくなりますが、言葉を扱う人間といたしましては、新潮にエールを送りたくなります。

 

え?

(〈軍配を上げる〉〈エールを送る〉ような表現ばかりで、シャレが効いてないぞ!)

《どろろの歌》にノーベル賞を……

歌の冒頭やサビの部分に、

「ラララ……🎶」

てな言葉が入る歌はたくさんあります。

 

由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』(作詞・山上路夫先生 作曲・いずみたく先生)は、ほとんど、

「ルールルルー🎶」

で、山本リンダさんの『狙いうち』(作詞・阿久悠先生 作曲・都倉俊一先生)の歌い出しが、

「ウララーウララー🎶」

というのは、有名です。

 

特に意味のないように見えて、途中からその意味が見えてくるのが、『どろろの歌』(歌・藤田淑子さん 作詞・鈴木良武先生 作曲・冨田勲先生)です。

手塚治虫先生の名作『どろろ』がアニメ化されたときの主題歌で、歌い出しが、

「ホゲホゲタラタラホゲタラポンー🎶」

と、やはり意味不明かと思わせておいて、

「お前らみんなホゲタラだ🎶」

と、ホゲタラが何を表しているのか、という歌詞が出てきます。

 

《ホゲタラ》という言葉は、辞書にはありません。

〈帆桁〉あるいは〈頰桁〉で,〈ホゲタ〉ならあります。

「頰桁をたたく」

という表現はあるそうですが、

「お前らみんなホゲタラだ!」

という使い方はありません。

 

作詞者の鈴木良武先生がどのような方か存じ上げませんが、物凄い発想される方だと,最近,カラオケで『どろろの歌』を歌いながら、三嘆久しくしております。

 

また、

《ホゲタラ》

という言葉だけではなく、『どろろ』という作品世界をしっかり表現しているという意味でも,それが実は現代社会にも通用すると言う点でも、名曲ではないかと思います。

 

「国民のため……」

「顧客のため……」

「弱者のため……」

てなことを言いながら,

「とぼけちゃいけねえ、知ってるぜ、お前らみんなホゲタラだ!」

なんてところも多々あるのではないかと思います。

 

そう言う意味でも、この『どろろの歌』はノーベル賞級の研究にも関わらず注目されない研究者のごとき歌かと思います。

そんなことも合わせて考えますと,世の中、本当にホゲタラな奴らが……

 

え?

(とぼけちゃいけねえ、知ってるぜ。いちばんのホゲタラはオマエだ!)