うやむやにされているような気がする、広島県警の被疑者死亡で書類送検……

一昨年、広島中央署で、詐欺事件の証拠品として保管されていた8572万円の通難事件で、今月5日に盗まれたお金を、警察幹部などが補填することが報道されて、

「なんや、もう犯人捜さへんのかい……」

と思うてましたら大間違いで、今日、当の詐欺事件を担当していて、事件発覚後役4ヶ月後に亡くなった(たぶん病死?)警部補が書類送検されたそうです。

 

いろいろ報道を読んでみますと、本人は否定していたようですが、警察ではこの警部補が怪しいんちゃうかと思うてたさかいに、

「諸々の状況から、やっぱりこいつが犯人に違いない。もう死んでしもうてるさかいに、書類送検で幕引きにしまひょ……」

てなことになったような気がするのは、アタクシだけではないように思いますが、どないでっしゃろ……

多額の借金の返済に充てられたようではありますが、それにしてもまだ帳尻が合うてないようで、盗まれたお金は結局見つけられなかったようで、なんやスッキリしまへん。

 

一方で、これも警察の隠蔽やてな見方もあるようですが、それやったらもっとあんじょう隠蔽しなはれ、と言いたくなるような、警察も報道もなんやはっきりせえへん事件です。

これから、ワイドショーや週刊誌ががんばってくれるんやと思いますが、案外、小説家や映画監督なんか、これをネタにすると……

 

え?

(オマエのブログもなんやすっきりせえへんなで……)

 

 

《不覊奔放(ふきほんぽう)》 《不覊磊落(ふきらいらく)》《不繋之舟(ふけいのふね)》

《不覊奔放(ふきほんぽう)》

《不覊磊落(ふきらいらく)》

という言葉が、『新明解四字熟語辞典』(三省堂)にあります。

《不覊奔放(ふきほんぽう)》

は、

〈なにものにも拘束されず思い通りに振るまうこと〉

《不覊磊落(ふきらいらく)》

は、

〈世間一般の慣習や小事にこだわらず、束縛されないさま〉

という意味で、《不覊》には、

〈非凡な才能を持ち、自由に振る舞うこと〉

という意味があるそうです。

 

《不繋之舟(ふけいのふね)》

という言葉には、

〈心にこだわりがなく、無心なことの形容〉

の他に、

〈定めなく流れ漂っている人のたとえ(繋がれていない舟の意から)〉

でもあると、これも『新明解四字熟語辞典』(三省堂)に記載されています。

 

ということは、

〈非凡な才能があって繋がれていなければ、なにものにも拘束されず、無心に思い通りに振る舞うことができる〉

ということになるかと思います。

 

ただ、そうは言っても、非凡な才能のない者には、誰かと繋がっていなければれば生きていけない、ということにもなるかと思います。

 

でなければ、定めなく流れ漂っている人にはなれない……

 

「キミの場合、非凡な才能もないのに定めなく漂っているよね……」

とは、例の友人の言葉で、でも、だから思い通りに振る舞っていられないわけで……

 

何を言うてるのか、わからんようになりましたぁ……

杉浦日向子先生、手塚治虫先生、小泉八雲先生、泉鏡花先生、岡本綺堂先生

遅まきながら、杉浦日向子先生の『百物語』(新潮文庫)を手にいたしました。

アタクシも存じおりの古典に記されております文章も見事に絵にされ、また、これは創作であろうな、思われる作品もありまして、ゆるりゆるりと拝読しております。

その杉浦日向子先生は、惜しまれながら46歳でお亡くなりになりました。

 

近頃、注目されておりますのが、手塚治虫先生の『どろろ』で、こちらはアニメ映画になるところから、その他の怪奇談も含めて書籍も見かけます。

手塚治虫先生は、61歳でお亡くなりになりました。

 

怪談と言えば、小泉八雲先生ですが、54歳でお亡くなりになっています。

 

『夜叉ケ池』を代表作とする泉鏡花先生は、66歳でお亡くなりになっております。

 

同じく怪談を執筆された岡本綺堂先生は、66歳でお亡くなりになっています。

 

アタクシ、昨年の『悪魔に魂を売った男 ロバート・ジョンソン』をきっかけに、怪談を好んで書くようになりまして、老い先短いように覚悟はいたしておりますが、例の友人によりますと、

「キミの場合、まだ小説家にもなっていないよね」

〈盗人猛々しい〉のか〈逆ギレ〉しているのか……

約束を破って自分に都合の良い勝手なことを言う奴を、何と表現したらいいのでしょうか?

 

韓国の文喜相国会議長が、天皇陛下による謝罪で慰安婦問題が解決するとした自身の発言について、日本側が撤回や謝罪を求めているのは、

〈盗人猛々しい〉

と言ったというインタビューを、複数の韓国メデイアが報じたそうです。

 

韓国にも、同様の言葉があるようで、それによると、泥棒があべこべに鞭を振り上げる、というそうですが、道理を破った人が却って癇癪を起こしながら蔑視する、とも言うそうです。

 

韓国の国会議長に対する韓国政府の反応を見てはいませんが、レーザー照射問題などから考えても、韓国という国は、

〈道理を破った人が却って癇癪を起こしながら蔑視する〉

国、というのが妥当ではないかと、アタクシ、個人的に思いますが、どないなもんでっしゃろ……

 

ところで、

〈盗人猛々しい〉

という言葉を久しぶりに耳にしたように思いましたのは、

〈逆ギレ〉

という言葉が日本に定着しているせいではないかと思います。

そういう意味では、韓国の国会議長は言葉を大……

 

ボカ! ドス! ゴン!

三題噺・求人欄〜隣乃玄関錬成会より〜

昨日、『隣乃玄関錬成会』で高座を務めました。

もちろん三題噺で、いただいたお題は、

フィギュアスケート』『新聞』『春がすみ』。

 

一年前から面倒を見てやっている親類の男が、仕事を紹介してくれと言いにきます。

一年前の今頃から、冬がすみ、春が来て、春がすみ『はるがすみ』、夏、冬、年が明けて二月になって一年、長続きしたした仕事はなく、もう紹介するだけの仕事はない、『新聞』の求人欄で自分で探せと言って見せると、ファッションアドバイザーの仕事を見つけた。でも、服の生地やデザインなどの商品知識も必要だ、ということで、結局、めぼしい仕事はありませんが、『新聞』は求人欄よりニュース、記事が大事だと言って、『フィギュアスケート』の紀平選手が三位からジャンプして優勝した、てな洒落たことも言えると教えると、仕事探しはそっちのけで友達にそれを言いにいきます。

「『新聞』で『フィギュアスケート』の紀平選手が三位から優勝したやろ。これが洒落になるんや」

「どんな洒落になるんや」

「ええと…… 『新聞』も『フィギュアスケート』の衣装も、記事(生地)が大事や」

                                   デンデン

 

面白かったのは、やっぱりその後の打ち上げで、玄関師と伸輔師の他に、一席演じてくださった祭蝶師と、落語を巡るアカデミックな話ができたことでした。

 

とてもいい貝でした。

お客さんはお二人でしたが……

トランンプ大統領をノーベル平和賞に推薦した安倍首相……

アメリカのトランプ大統領が、ホワイトハウスでの記者会見で、安倍晋三首相から、ノーベル平和賞選考機関に送ったとされる推薦状のコピーをもらったと明らかにしたそうです。

米朝首脳会談をきっかけに、上空を飛来する(北朝鮮の)ミサイルへの懸念が消え去り、安心感を得るようになったから」

と言うのが推薦の理由だったそうですが、どうせなら、拉致された方が、トランプ大統領の恫喝で全員帰ってきたときに平和賞に推薦してほしかった、と思ったのは、アタクシだけでしょうか……

 

おそらく、これでまた世の中が騒がしくなるように思います。

北朝鮮問題の他の外交問題では、あちこちから批判を浴びているトランプ大統領ですから、国内はもちろん、他の国々からどのように見られるか、といったところにも注意が必要かと思いますが、それにしても、どうしてそんな推薦をしたのか、さらには、推薦したことをどうしてトランプ大統領に告げたのか、そこに何か安倍首相の、したたかな深い意図があるように思いますが、いかがでしょうか……

 

まあ、少なくとも、フェイクニュースではないことだけは、確かなように思いますが……

感動も勇気も元気ももらわない!

『感動をもらった』

『勇気をもらった』

『元気をもらった』

前から気に入らない言葉です。

 

ここから、

『人に感動を与えられるような〜(をしたい)(になりたい)』

なんて高慢な言葉も誕生したのではないかと、アタクシ、個人的に思っております。

 

昔は、こんな言葉、言い方は、少なくともアタクシが若かりしころには、まったく存在しない言葉だったと思います。

ということは、それより以前には、こういう発想はなかったということになるかと思います。

 

誰かに感動させてももらわないと、無感動な人生を送ってしまう……

誰かに勇気や元気をいただかないと、自分の中から勇気や元気が湧き出てて来ない……

なんてことは、昔はなかったということです。

 

たとえ戦国時代であっても幕末動乱期であっても敗戦後であっても、みんな自分たちで感動し、勇気を持って元気に生きてきたのに、平和な現代になって、誰かに感動や勇気や元気をもらわないと、自分から何もやろうとしない人ばかりになった、ということなのでしょうか……

 

《私の行いを見て感動したのは、あなたです》

《私の行動を見て勇気がわいたのは、あなたです》

《私の姿を見て元気になったのは、あなたです》

決して私があなたに何かを与えたからではありません。

 

これを傍らで聞いていた例の友人が、

「そのとおり! キミを見て感動する人も勇気がわいてくる人も元気になる人もいない!」