ロシアの金ちゃん

ロシアでプーさんと会談した金ちゃんが、予定されてた行事にも出ないで帰国を早めのんちゃうか、てな報道があります。

 

前回のアメリカのトラやんのときも、会談後に予定をキャンセルしてお国に帰ったように記憶しておりますが、金ちゃんの考えが余りに甘かったために、それでは話にならんやろ、とトラやんを子供扱いしたためだったような印象を、アタクシは持っております。

 

その例に倣えば、今回も金ちゃんはプーさんに子供扱いされたので、それで早くおうちに帰ることにしたんやないかと思ってしまいます。

 

お父さんの代までは結構かばってくれていた隣の習さんもなんだか冷たくなって、親切にしてくれるのは、南隣の文ちゃんだけのようですが、文ちゃん自身の評判もよくないようですから、子供の金ちゃんはこれからどうしていいかよくわかっていないのではないかと思います。

 

まあ、これまでさんざん内弁慶で生きてきたような金ちゃんのことですから、急に大人の相手にしろと言われても、途方に暮れるばかりのようにも思います。

 

うっかりすると、

「もう大人なんか嫌いだ!」

なんて開き直ってまた危ない玩具を見せびらかすのではないかと思ってしまいますが、どうなりますやら、ブログでちゃかしてる場合やおまへんがな、ほんまに……

捕らぬ狸の皮算用データ

プロ野球阪神タイガースとDNAが、仲良く最下位に並んでいます。

 

開幕2連勝のタイガースに、開幕戦に連勝したチームが優勝する確立は70%だとか80%だとか、テレビで誰ぞが景気のいいことをおっしゃっていたかに記憶していますが、その阪神に勝って弾みがついたのか、現在、ジャイアンツが首位をキープし、開幕当初勢いのなかった広島カープが6連勝で順位を上げています。

 

がんを治療した人の何年後かの生存率が5割だ、6割だという話を耳にします。

それを悲観的に口にされる方は少なくないようですが、生きている方もそれだけいらっしゃるという見方は、一升瓶にお酒が〝半分しか〟残っていないと考えるか、〝半分も〟残っているかという問いかけと同じかと思います。

 

やみくもに悲観的な見解ばかりに注目する必要はありませんが、といって過去のデータを都合良く解釈するのもいかがなものかと思います。

 

でも、

《取らぬ狸の皮算用

とばかりに、過去のデータを己を安心させるために用いてしまうのが、人間かとも思います……

 

これを例によって例の友人に語りましたら、

「キミの場合、特にそうだよね」

背の高い巨人の上に立つ!

物理学の父と称されるアイザック・ニュートン先生は、

「どうして未来に通ずる大きな業績をあげられたのか」

と問われて、

《私がほかのだれよりも遠くのほうを見ることができたとするならば、それは背の高い巨人の肩の上に立っていたからです》

と答えたそうです。

 

先日、新聞のコラムにも引用されておりましたが、物理、科学、学術に限らず、この言葉は人生のあらゆる場面で適用できるかと思います。

 

《一流の小説家は一流の読み手でもある》

 

という言葉は、古今東西の小説を読み込んでいるからこそ、つまり、先人の作品に多く触れているからこそ、素晴らしい小説が書けるということを意味しています。

 

音楽然り、美術然り、新製品開発然り、日常生活においても、まさに先人の、たとえば、おばあちゃんの知恵、と昨今取り上げられるようなことを、どれほど多く身につけているか、という点に尽きるのではないかと思います。

 

ただ、問題は、最小の労力で最大の成果を上げなければならない、という風潮が、世の中に蔓延していることではないかと思います。

 

背の高い巨人を見つけて、わざわざその肩まで上がろうなどと考えている人はどれほどいらっしゃるでしょうか……

 

でも、だからそこにチャンスが生まれるようにも思います。

わかっているけど、それを実践していない人が多いからこそ、巨人の肩に上がる価値があると言えます。

 

ええ、もちろん、アタクシも、〝わかっちゃいるけど組〟の一人なんですけど……

『ゲシュタルトの祈り』から〜わたしはわたしに期待する〜

ユダヤ人の精神科医フレデリック・パールズ師が作られた『ゲシュタルトの祈り』という詩を、自ら始めたゲシュタルト療法のワークショップでパールズ師自身が読んでおられたそうです。

 

 これを職場でいただいて、

 

  わたしはあなたの期待に応えるために

  生きているわけではないし

  あなたはわたしの期待に応えるために

  生きているわけではない

 

 というところに魅かれました。

 

多分、誰かに期待されてそれがストレスになっている方や、誰かに期待されることを望んでいるのに誰にも顧みられていない方、さらには誰かに何かを期待しているのにそれに応えてもらえていないことを悩みとしている方が、たくさんいらっしゃるんだろうと思います。

それで、誰にも期待されずに誰にも期待しないという考え方で心の負荷を軽くしようということかと思いますが、人間が社会的動物であるとしたら、かなり難しいことかもしれません。

他者からの認知があってこそ、わたしの存在意義があるのだ、わたしはこういう人間だと認識できるのではないかと考えますと、〝期待〟を外した己の人生など無に等しいのではないかと感じる人も多いのではないかと思います。

 

こんなことを例によって例の友人に語りましたら、

「キミの場合、最初から誰にも期待されないことが習慣になっているからねぇ……」

 

でも、わたしはわたしに〝期待〟しています。

いずれ誰かに認められるのではないかと……

(おい!)

『ほぼ別嬪寄席VOL.4』レポート

昨日、伝楽亭で開催されました『ほぼ別嬪寄席VOL.4』にまりました。

アタクシが4時頃までしかいられない、てな我がままを申し上げたせいか、1時半から八席の落語音曲を、4時前に終えてくださったことに、まずは感謝いたします。

 

一応、〝ほぼ〟がついておりますが、高座に上がる皆さんは、別嬪に違いないと確信いたしましたのは、アタクシだけではないのではないかと思います。

それほど、皆さん、生き生きと演じられていらっしゃっいました。

 

トリのいち福嬢の『七度狐』や春乃嬢の『明石飛脚』など、音曲が入っていたせいもあるかとも思いますが、そうした音曲を一切使わない江戸落語、小遊嬢の『鰍沢』にも引き込まれましたのは、やはり皆さん相当の熟達の師である証左にございましょう。

 

会場も満席でございまして、これはもう、聞き応えのある噺ばかりである証しでもあるかと思いますが、そんなことを言うと、

「あたしらアイドルやねんからな!」

てなことをC嬢辺りから突っ込まれそうな、楽しい落語会でございました。

コミセン寄席(北六高台自治会イベント)レポート

昨日、米珠師がお住まいの西宮市北六高台にございますコミュニティーセンターで開催されました『コミセン寄席』にまいりました。

会場は定員を超えて立ち見まで出るほど盛況で、皆さん、よく笑ってくださいました。

これも世話人のお三方、遊上さん、中岡さん、守本さんをはじめ、イベント開催にご尽力くださった地域の方々のおかげであり、また、米珠師のご人徳のなせる業かと、ただただ感動、感心、感謝するばかりでございました。

 

緑生さんから始まってトリのかかし師まで、落語にはもちろん、アタクシが出ました大喜利でも皆さん、よく笑ってくださいました。

 

落語、大喜利、参加メンバーは、来年も出たい! てな感じで、お客様より演者の我々の方が楽しませてもらったように思います。

 

お昼ご飯にご提供いただいたお弁当がとってもおいしかったからもう一度行きたいなんて、意地汚い了見からまた行きたいなんてこをを言うてるわけではないということを、念のために申し上げて、レポートを締めくくりたいと存じます。

PHP・杉良太郎さんの語る〝一生懸命〟!

PHPの5月創刊72周年記念号を買ってしまいました……

 

『いま、この人と語ろう いい言葉いい人生』に登場されている杉良太郎さんの記事のキャッチコピー、

《一生懸命に勝るものはない》

にちょいと引っかかりましたのは、歪んでおりますアタクシが、〝一生懸命〟という言葉にやや胡散臭さを感じておりましたからでございます。

でも、その〝一生懸命〟が、

「やがて報われる」

「いずれ道を開く」

といった類いの思いから出てはいませんでしたから、ついそのままレジに持っていってしまいました……

 

その〝一生懸命〟の中に、

《今日が命日になっていい》

《与えられたことをただやるだけで満足するな》

《プロ中のプロは、非常識から生まれる》

といった考え、プロフェッショナルとしての〝一生懸命〟とはどういうものか、ということが記されていました。

また、長く続けれている福祉活動についても、

《福祉は一方通行でいい》

と述べていらっしゃいます。

見返りを求めない福祉に徹する思想は、まさにプロフェッショナルの〝一生懸命〟と態通する考えだと思います。

 

アタクシも、杉良太郎さんがおっしゃる意味で〝一生懸命〟でありたいと、例によって例の友人に語りましたところ、

「キミの場合、問題は、どれだけ〝一生懸命〟にがんばろうとしても、そこにプロフェッショナルとしての意識がない、というところだよね」