『謝罪せず』を報じるメデイア

大相撲初場所初日の、理事長による協会挨拶に関して、

『謝罪せず』

と見出しをつけたメデイアがありました。

 

いつからでしょうか、犯罪報道、裁判報道では、謝罪の言葉の有無が必ずと言ってほど報じら、事件や事故を起こした企業や組織の幹部が並んで頭を下げて謝罪する光景が珍しくなくなったのは……

 

諸外国においては、迂闊に謝罪してはいけない、ということがよく言われます。

でも、先頃、もう謝罪の意は示しているからこれでこの件はおしまいにしようねって、蒸し返さないでねって約束したのに、某国はいつまでたっても謝罪がないとかなんとかごねています。

 

クレーマーと称される人々も、因縁をつけて求めるのは、謝罪です。

 

もちろん、心からの謝罪は必要です。

謝罪したからといって、赦してもらえない場合もあります。

そんなときは、たとえ人間関係が壊れることになっても、赦してもらおうなんて考えないことにしています。

 

ただ、自らの優位性を示すために謝罪を求める、てな族が昨今少なくないように感じるのは、仕事でしくじるたびに謝罪ばかりしてきたアタクシだけの感覚なんでしょうか……

 

え?

(そうや!)

ねえムーミンこっち向いて入試!

今年のセンター試験で、北欧に関する地理問題に登場した『ムーミン』と『小さなバイキングビッケ』が物議を醸しているようです。

 

かつて千葉大学飛び級試験で『ドラえもん』のタケコプターが題材となり、私立中学の入試問題では、ドラえもんが生物として認められるか否かという、存在自体が設問にされていました。

 

入試改革の一環としてセンター試験が変更されることが決まってから人気漫画の『ムーミン』か…… なんて感想もありますが、それにしても、どうして『ムーミン』でなければならないのか、という必然性にも疑問符がつきます。

 

批判の一つに、教科書には掲載されていない未見の資料を使うのはいかがなものか、てなもんもありますが、それで言えば、国語の文章はすべて未見の文章であることが前提です。教科書に掲載された文章にお目にかかることはありません。

英語も同様かと思います。

 

もし、国公立で、

思考力を問う。

表現力を問う。

という点に重点を置くなら、二次試験で測定は可能なはずです。

 

私立大学においては、AO入試やら推薦入試でも対応できるのではないかと思います。

 

むしろ求められるのは、横並びではない入試に対する各大学の思考力のように思うのです。

北欧に関する出題として『ムーミン』なら面白いかもしれない…… ではなく、こういう思考力を持った学生を求めるためにはどうしても『ムーミン』でなければならないという発想が重要なのではないかとも思います。

ですから……

 

あれ?

どうして皆さん、そっぽを向いているんですか……

 

「こっち向いて!」

年賀状から見える流行りの〈定活〉

就活、婚活、終活に、最近は、定年退職後の準備、たとえば再就職や地域における社会活動、あるいは趣味、楽しみを発見する〈定活〉なるもの、そうしたセミナーなんかが開催されているそうです。

 

定年が迫ってから意識するのではなく、三十代四十代から始めましょう、なんて謳い文句もあるようですが、年賀状を見れば、自分にそんな準備が必要なのか、それともまったくそんな必要などないのかを見分けられるのではないかと思います。

 

たとえば、いただいた年賀状の大半が、会社関係、仕事に関わる人ばかりなら、早期の〈定活〉は必要かもしれません。

でも、会社関係の人からいただく年賀状の他に、たとえば学生時代の友人、趣味の世界の同人、あるいは何年も前に退職している人など、多様なグループ分けができるような年賀状がいただけている人は、〈定活〉はあまり必要ないように思います。

 

言い換えると、仕事に偏った人づきあいしかできていなかった人に必要なのが、〈定活〉ではないかと思います。

 

定年退職後に何をやるかを考えたときに、仕事以外のつきあいの中から、

「そうだ、あの人に相談してみよう」

という人がいれば、大上段に構えた〈定活〉なんて必要ないということです。

 

あまりいい例とは言えないかもしれませんが、自分の葬儀に集まった人々が、互いに初対面であるというぐらいに、仕事とは違う多様な世界をどれほど持っているか、というところが、〈定活〉のポイントになるように思います。

 

また、急速に現代社会に蔓延り始めたスマフォ、携帯から発信されるハッピーニューイヤーも、積み重ねてやりとしてきた年賀状には及ばないのではないかと思います。

 

そうは言いながら、アタクシのやりとりする年賀状も、ずいぶん少なくなりました……

 

ですから、お年玉くじも当たらなくなりました……

 

(おい!)

マジンガーZ出撃!

以前、バス停の片隅にある自衛隊の広報版に貼ってあった、劇場版『マジンガーZ』がいよいよ公開されました。

 

ウルトラマン仮面ライダー、あるいは戦隊ヒーローのようにテレビシリーズが放映され、映画化されているものではなく、といってロボットアニメでは鉄腕アトムや鉄人28号ほどの知名度は高くないわりには、カラオケでマジンガーZイントロが流れると、もうそれだけでメンバーの血流を60%は改善するだろうというほどの人気を誇る、永井豪先生の名作です。

近頃は、コマーシャルでもお目にかかることがあり、週刊誌で永井豪先生の回顧録的シリーズの一つにもなっておりました。

 

このマジンガーZで、半男半女のアシュラ男爵から機械と怪獣を合体させた機械獣なんかの造型にもずいぶん魅かれましたが、パイルダーを頭部に合体させることで作動させるとか、ロケットパンチをはじめとする兵器の発想にも目を奪われました。

 

永井豪先生のあの発想はどっからくるのか、ということは、デビルマンでも感じておりましたが、まさにその発想にこそ、天才の天才たる由縁があるようで、一般化できる方法論では語れないようです。

 

今回は、当時の主人公が成長して…… という設定のようですが、どうなっておりますやら……

 

また、成長したおそまつくんやマジンガーZに続いて、次は『バビル2世』登場、なんてことになっているでしょうか……

 

アタクシ、個人的には、『破裏拳ポリマー』あたりを期待して……

 

え?

ポリマーをご存じない?

 

失礼しました……

広辞苑に〝壁どん〟を……

アメリカ映画界で巻き起こった、大物プロデューサーなどのセクハラを指弾する〝ミーツー〟の広がりに対して、フランスの女優、カトリーヌ・ドヌーブさんなどが展開している〝口説く自由〟に注目が集まっているようです。

 

あたかもそんなタイミングを待っていたかのように、裁判で、いわゆる壁ドンがセクハラに当たる、という判決が下されたという報道がありました。

 

本日、1万項目を加えて10年ぶりに改訂された辞苑が発売されました。

増補された1万項目をすべて紹介するわけにもいきませんから、メデイアによってめぼしい言葉が紹介されていますが、震災によって誕生した〝安全神話〟や〝原発震災〟といった言葉も登場しているようです。

 

さて、〝壁どん〟が広辞苑に加えられたか否かについてはまだ確認しておりませんが、この裁判結果によって、次の改訂時、〝壁どん〟に、

「セクハラ行為の一つ」

てな意味が新たに加えられるかもしれない、と思うとなんだか楽しくなってきます。

 

そうなりますと、〝壁どん〟には、口説く自由を表現した行為と受け取られる、セクハラ行為として受け取られるか、ちょっと試してみたい衝動にかられますのは、果たしてアタクシだけでございましょうか……

 

なんてことを、例によって例の友人にいたしましたところ、

「キミの場合、試すまでもなく、一つの意味に限られるよね……」

aiboの可能性

今年、戌年の1月11日午前11時に、ソニーが12年ぶりに犬型ロボット、アイボ(aibo)を復活させ、話題になっているようです。

 

巷のペッと事情では、犬派よりも猫派が増えているそうで、猫型のかわいいロボットが世間には出回っているようです。

本来の犬の役割である警護ロボットも、一般に販売されており、その他、人型ロボットの開発はもちろん、は虫類型ロボットも魚型ロボットもすでに存在しているようです。

恐竜でもロボットになっているぐらいですから、今さら犬型ロボットでもありますまいが、どうせなら、かつてのタツノコプロの人気番組『新造人間キャシャーン』で活躍したロボット犬〈フレンダー〉型ロボットなんかを、形状だけでなく性能にいたるまで再現すると、きっと爆発的に売れるのではないかと思いますが、フレンダージェットなんかになって急に飛ばれたりすると、それはそれはまた騒動になって大変なのではないかと思います。

 

また、これだけ多種多様な動物をロボット化できるなら、ロボット飼育員によるすべてがロボット動物園を作ることとも可能ではないかと思います。

当然、人気のパンダもロボットにして、シーズンには成長する子パンダを公開するなんてのもありかと思います。

 

さらには、絶滅、あるいは絶滅危惧生物もロボットにして、絶滅動物園、レッドデータズーなんて作ると、人気のスポットになるかもしれません。

 

個人的には、ショッカー怪人のロボットパークなんてあると、とっても嬉しい……

 

え?

(そんなもん、オマエのほかに誰が喜ぶんや!)

「大変弱い人間だった」カヌー選手と漱石先生の『こころ』

オリンピック出場を目指すカヌーの選手が、力を伸ばしてきた若手選手の飲料に禁止薬物を故意に混入してドーピング検査によって若手選手の出場失格を目論んだ事件が報道されています。

お互いに日本を代表する選手であり、ドーピングの罠にはめられた選手が最初に相談したのが、尊敬する先輩であり仲のよいチームメイトでもある、薬物を混入した当の選手だったそうで、結局自ら混入を告白した本人は、

「私自身が、大変弱い人間だった」

と、その理由を述べたそうです。

 

テレビで横に並んだコメンテーターの皆さんは、

「よほどオリンピックに出場したかったのでは……」

ですとか、

「焦りがあったのでは……」

ですとか、スポーツ選手独特の他人事のようにお話されているようですが、どなたも社会のあちこちで信頼を逆手に取った巧妙な罠を仕掛ける人間の存在することに、もっと言うなら、自分もそんな卑劣な人間になるかもしれないという視点で語るお方はいらっしゃらないようでした。

 

夏目漱石先生の『こころ』は、お嬢さんに想いを寄せる親友Kの心情を知りながら、自分の内心を隠したままKを出し抜いてそのお嬢さんと一緒になった先生の、その心の変遷を示した小説です。

 

普段は善人でも、信頼されていることを逆手に取って自分の願望を叶えようとする人間かもしれないという可能性に触れるコメントがどなたの口からも出ないいというのは、視聴者も含めて自分はそんなことは決してしない人間であるということを意味しているのか、あるいはそういう発言はテレビでは不適切であるとの判断があるのか、はたまた、ホントウにアタクシみたいな一部の大変弱い人間だけの話なのかとも思います。