怒りの大魔神時代

自由民主党が、あおり運転の罰則強化について検討を始める、てなことが報じられています。

お上ができることは、法制化と相場が決まっておりますが、根本的な解決策にはならないように思います。

 

駅員に対する暴力事件も、後を絶たないようです。

こちらは、ポスターなどで啓発しているようですが、さてさて効果の方はどうでしょうか……

 

店舗においても、クレーマー、因縁をつけて怒る輩がいるようですが、こんな奴らにがつんと一言くらわせて視聴者をすっきりさせる番組もあるぐらいですから、現代は怒る人があふれる時代なのかもしれません。

 

昔、『大魔神』なる映画がありましたが、理不尽な仕打ちに穏やかな顔から怒りの表情に変わって悪を懲らしめるてな行為は気持ちのいいものですが、昨今は、大魔神に化したくなるような怒りが目立つようでございます。

 

企業で切れ者と噂される上司は、頭も切れるが、部下にもすぐに切れる、なんてことを、先日ある御仁に話しましたら、いたく気に入っていただきました。

 

〈逆鱗に触れる〉

とか、

〈触らぬ神に祟りなし〉

とか、日本には怒る人に関わる言葉がありますが、組織や団体、家庭においても、怒る人には皆々気を使って大変ですが、そもそも怒りっぽい人には、根本的な理由が何かあるように思います。

精神的に未成熟なのか、そうでなければ、他者から理不尽な扱いを受けたのか、あるいは他者に認められない鬱憤がたまってどうにもならないのか……

 

いずれもにいたしましても、アタクシ自身に当てはまるようで、これ以上書くと怒ってしまうかもしれませんから、今日はこれぐらいにしておきます……

 

 

中川翔子さんの《押しつけではない、寄り添える言葉》

しょこたん、こと中川翔子さんが『死ぬんじゃねーぞ!!いじめられている君は悪くない』(文芸春秋)を出版されました。

新学期が始まる前に自殺を思う子供たちへのメッセージです。

 

NHKNEWSWEBに、その中川翔子さんへのインタビュー記事が掲載されています。

 

『「学校に行くのが恐い」「死んじゃいたい」「あの子に会いたくない」

いろんな気持ちに襲われてしまう思春期の10代の子供たちにどんな言葉をかければよいのか、しかも押しつけではない、大人の寄り添えることばって、なんだろうな、って思って書き始めた。』

そうです。

 

《押しつけではない、寄り添える言葉》

 

子供たちに限りません。

大人であっても、そんな言葉が必要です。

だから、世の中には言葉の本があふれていますが、この、

《押しつけではない、寄り添える言葉》

 が非常に難しゅうございます。

 

たとえば、大切な人をなくして悲しむ人に、死を宣告されて衝撃を受けている人に、私たちはただ寄り添う他にどんな言葉をかければいいのでしょうか……

そんなとき、私は言葉を失います。

いくら探しても、見つかりません。

却ってその人を傷つけてしまったであろう、苦い経験がありますから……

わかっちゃいるけど怒ったらやってしまいます。人間だもん……

パッシングされたことに立腹して、あおり運転のあげく相手の胸ぐらを掴んだてな行為に及んだお坊様が逮捕されたことが報じられています。

 

アタクシの感覚で申し上げますと、事件を起こして報じられる職業の一番が芸能人で、次に政治家、警察官、教員、お役人で、お坊さんの順位は低いように思いますが、いかがでしょう……

 

もちろん、あおり運転と暴行がセットになった事件が、ちょうど話題になっているところですから、タイミングがよかった…… いえ、悪かった…… てなところもあるかと思いますが…… 

 

阪神タイガースのファンが、相手チームのファンのヤジに激昂して抱いていた三歳の子供を投げつけた、てな報道もありました。

 

人間は、怒ったら事件を起こす生き物かと思いますが、怒ったときにやらかすのは、暴力か猥褻のいずれかになるかと思います。

 

隣国が怒って協定を破棄したそうですが、怒りに任せてやらかしたことがどういう結果を招くか、ということは、考えないといけないように思いますが、わかっちゃいるけどつい……

 

自省のブログになってしまいました……

邪道俳句

8月14日に開催された『伝楽亭俳句会』の結果が、伝楽亭のブログに掲載されております。

 

拙作、三句とも選ばれておりますが、今回、三作いずれにも、

〈君〉

を入れてみました。

 

かかし師は、

「人を詠むのは川柳」

と、指導されますが、アタクシ、ついつい人を読み込んでその情景から、ちょっとしたドラマとなって読み手のイメージを広げ、かつ、謎を想起させるような句作をしてしまいます。

 

言うなれば、奇を衒った邪道外道でございますが、手法は自作落語、三題噺、あるいは小説を書きますときでも同じ、アタクシの創作の基本姿勢でございます。

 

かかし師をはじめとする本格の俳諧師からすれば、拙作を支持する方がいらっしゃるということは、面白くないかもしれませんが、邪道外道があればこそ本格本道がまた際立つのではないかとも思います。

 

とは申せ、アタクシの作ります落語も三題噺も非難されるは、小説はいつまでたってもモノにならないはで、しょせん邪道外道は、本格本道には勝てぬということでございましょう……

猫とゾウの気持ち

他人の猫を持ち去って捕獲器に閉じ込めて餌を与えず、棒で腹などを突いて虐待し死なせたとして、動物愛護法違反、器物損壊の罪に問われて、懲役6月を求刑された男が、

「(逮捕されて)猫の気持ちがわかった」

と述べたと、読売新聞オンラインが報じていました。

 

この男は、絶対に猫の気持ちをわかっていません。

拘束されて棒で突かれ空腹のまま死んでいった猫の気持ちが、逮捕されても食事を与えられ虐待もされていない男にわかるはずなどありません。

むしろ、簡単に気持ちがわかるなどと口にする輩ほど、想像力の欠如した自分勝手な人間ではないかと思います。

 

『サーカスのゾウは、ロープで杭につながれたまま、決してそこから逃げ去ろうとしない』

という言葉は、

〈自分にそれだけの力があるはずなのに、その力を発揮しようとしない〉

人を奮起させる言葉かと思います。

 

でも、それまでさんざん逃げることを試みて果たせず、心が折れてしまったゾウに、もう一度がんばってみろ、というのは、実に酷なことではないかと思います。

そうして誰かを再起奮起させる、感動的なドラマや映画がありますが、ゾウに、

「もう一度逃げてみろ、お前にはそれだけの力があるはずだ!」

と奮起を促す人に、ゾウがそうなってしまった経緯やそのときの心情がどれほどわかっているのでしょうか?

できる人間ができない人間の気持ちも考えずにはっぱをかけているだけのように見えるのは、アタクシが、歪んでいるせいではありません。

 

最近、そんなような目に遭ったからで……

 

(オマエの愚痴など、聞きたくないぞ!)

 

逮捕された宮崎容疑者と香港の抗議活動

あおり運転の上に暴行傷害で指名手配されていた宮崎容疑者の逮捕の映像がテレビで報じられていました。

「逃げもしません。隠れもしません」

と言いながら、

「これから生野署に出頭する」

と言って、逮捕しようとする別の警察署員の身柄確保に抗う姿が宮崎容疑者を見て、ドラマのように、問答無用でどうして手錠をかけないのか、と疑問に思いました。

 

最近は、権力の横暴だとか非難する向きもあり、ましてやテレビカメラの前で、迂闊のことはできない、という意識があったのかとも推察します。

 

それはともかく、もし、生野署に出頭するという宮崎容疑者の言葉を信じて許していたら、今後、捜査員に囲まれたときに、別の警察署に出頭する、と言う犯罪者が増加していたかもしれません。

それをあっさり却下したところは、さすが警察です。(当たり前かもしれませんが……)

 

容疑者の身柄を中国本土に引き渡せる条約の改正案をめぐって抗議活動が続く香港で、中国政府がそれを引っ込めないのは、もし、そこで民衆の抗議活動に折れたら、今後、香港でさらにいろんな抗議活動が増えてしまうかもしれない、という懸念もあるからだろうと思います。

 

そう言えば、天童よしみさんが南天のど飴のコマーシャルで歌っていらっしゃいました。

「折れたらあっかん〜🎶 折れたらあっかん〜🎶」

 

ボカ! ドス! ゴン! 

 

えーと、

《逃げもしません。隠れもしません》

って、今年の流行語大賞にノミネートされるかもしれない、と密かに思っており……

 

ボキボキ! ベキベキ!

ゴルゴ13のように歩かなければならない社会……

今日も、歩いていた女性が見知らぬ男に刺されたという報道がありました。

 

これまでにも、通りすがりの女性や子供に危害を加える輩がいましたが、今年、男性の被害も報じられています。

 

あおり運転、暴行で指名手配されていた男と、その車に同乗していた女が逮捕されて、マスコミは二人がどのような人物か競って報じています。

 

個々のケースは違うかもしれませんが、理不尽で常軌を逸した人間によって、いつどこで誰が同様の被害に遭うかわからない、という点では、同じではないかと思います。

 

一般には、こうした事件を起こす人間には、先天的な問題、生育歴の問題、さらには環境に起因する問題が考えられているようで、専門家による研究分析も進んでいるかと思いますが、我々の想像を超えた危険な人間による被害に遭わないようにするために、私たちは具体的にどうすればいいのでしょうか?

 

アタクシ、最近はゴルゴ13のように自分の背後を歩く人間を警戒するようになりました。(でも、いきなり殴ったりはしませんが……)

反対に、うっかり誰かの背後を歩いてしまうと、警戒されている様子がわかります。

 

日本は不安な社会になったのか、それとも、社会で生きるということについてそうした警戒は当たり前のことなのか……

 

なんてことを、今日は考えてしまいました……