自分の流儀を貫く理由

先日、ある方とお話する機会がありました。

 

その方が、同じ仕事に携わる他の人たちを気にしているようなことをおっしゃいますので、アタクシ、そこが気になって尋ねて参りますと、その方、どうやら自分の仕事がうまくいっていないようで、でも、自分は自分の流儀を貫いていくしかない、というようなことをおっしゃっいました。

 

同じ仕事に携わりながら、自分はうまくいかない一方で、他者はうまくやっている……

うまくやっている他者をなぞるのも一つの方法ではありますが、もっと工夫を凝らすとか、技倆を磨くとか、やりようはいろいろあるはずです。

にもかかわらず、自分の能力の問題か、あるいは性分の問題もあってか、それができない。

うまくいかないこれまでのやり方を貫くより仕方ない……

といって、うまくいかないことに変わりはなく、やっぱりうまくやっている他者ばかりが気になる……

 

お話をうかがっておりますうちに、だから、他者を気にしながら自分は自分のやり方を貫いている、とこの人はアタシに訴えているのではないかと感じました。

 

この話を例によって例の友人に話しましたところ、

「その人は、自分のやり方を貫いている、なんてことを、どうしてキミに訴えたんだろうね」

と珍しく疑問を呈するように申しますので、

「そりゃ、それだけアタシが信頼されているからやないかな」

なんて答えましたら、

「共感してもらえると思ったからやろ」

「共感?」

「そう。キミもおんなじ種類の人間やからな……」