空気と風を読め!

空気が読めない輩を称するKYという言葉が耳に触れるようになって久しく、この言葉はあたかも日本の市民権を得たようにも思えます。

 

でも、日本には昔からその場の空気に逆らえない風潮が存在するようで、たとえば、戦艦大和の出撃は、専門家は皆無謀だとわかっていたようですが、その場の空気に流された結果、大和は海に沈んだようです。

 

空気とともにもう一つ、風を読むことも重要であるはずですが、たとえば、希望の党の凋落は、世間の風が一瞬にして逆風に変わったためではありますが、都知事選の風に乗ろうとしてしくじった人々は、風を読み損なった方々と言っていいかと思います。

 

空気と風は密接に関連しています。

空気だけ読むことがうまくても風を読むことができなければ、秋の空気に枝を離れた木の葉のようにどこに飛ばされるかわからないことになるでしょう。

いくら風が読めても空気が読めなければ、その風に乗り損なうかもしれません。

 

そう考えると、空気も読まずに風も読まないという、泰然自若とした態度でいるほうが案外いいように思います。

 

これを例によって例の友人に話しましたところ、

「空気も風も読めないKKYのキミの場合、冷えた空気に北風吹いて、体も心も懐は、すっかり凍りついてしまっているよね……」