何かに例えることわざは、それを見ることによって、ことわざの意味を想起させます。
たとえば、
『木を見て森を見ず』
なら、木、あるいは森を見て、
「私は細かいところにとらわれて全体を見ていないのではないか……」
と思います。
たとえば、
『実るほどに頭の垂れる稲穂かな』
なら、実った稲穂を見る度に、
「私は、謙虚さを、感謝の心を忘れているのではないか……」
と思います。
たとえば、
『誰が見ずとも桜は桜』
なら、桜を見る度に、
「私は、誰かに評価されることばかりを考えているのではないか……」
と思います。
たとえば、
『野菊を踏む人踏まぬ人』
なら、野に咲く野菊を見る度に、
「私には、細かな気遣いが足りているだろうか……」
と思います。
たとえば、
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』
なら、幽霊を見る度に……
見たらやっぱり怖い。
たとえば、
『河童の川流れ』
なら、河童を見る度に……
誰も見たことがないであろう河童を使ったことわざを編み出した人は、何をきっかけにしてこれを考えついたのでしょうか……
『河童の川流れ』
に接する度に、そんなことが気になってしまいます。