「私のことを分かってほしい」
と思いながら、
「私のことを分かってくれる人などいない」
とあきらめながら、でも、
「君のことはよくわかっている」
と言いながら、信頼を得ようとする人を疑惑の目で見てしまうのは、なぜでしょう……
「私のことを分かってほしい」
と言いながら、
「私のことを分かってくれる人などいない」
とあきらめながら、誰かが誰かを分かろうとすることなどできないということを、何となく分かっているからではないかと思います。
仮に分かろうと努力する人がいたとしても、その人が、私を分かるはずはありません。
「君のことはよく分かっている」
という人に、
「私の何が分かっているの?」
と質問すれば、それがよく分かるかと思います。
あとは、相手が、
「私の分かってほしい」
と思っている心理を突いてくることが分かっていることが大事ではないかと思います。
ですから、内山田洋とクールファイブさんの『そして神戸』(作詞・千家和也さん 作曲・浜圭介さん ビクター)は名曲だと思います。
「夢の続き見せてくれる相手探すわ〜」
「誰かうまい嘘のつける相手探すわ〜」
けれども、それがどういうことか、ハナ肇とクレージーキャッツさんの『スーダラ節』(作詞・青島幸男さん 作曲・萩原哲晶さん 東芝)の歌詞にある通り、
「分かっちゃいるけどやめられない〜」