『秦始皇帝と大兵馬俑』のひねくれた発想

先日、『秦始皇帝と大兵馬俑』を観にいってきました。

 

会場には、実物大の兵士たちに行きつく前に展示されている関連遺物も展示されており、それらに触れることで、兵馬俑が身に付けているものや、あるいは武器などについて理解を深めることができるようになっていました。

 

兵馬俑も、最初から等身大ではなかったようで、出発点は、兵士のミニチュアだったようです。

日本でも、古墳の副葬品として埴輪が有名ですが、あれが大きくなって等身大となったようなものかと思いながら、これがされに大きくなったら、大映映画の『大魔神』が無数に作られたようなものになるかも…… てなバカバカしい空想もしてしまいました。

兵馬俑怒る!』なんて映画が作られて、中国で大ヒットなんてことになると面白いのではないかと思いました。

 

実際の制作者、現場で制作に携わる職人も、膨大な人数を要したのではないかと思いますが、そうなると、技量に差があり、腕のいい職人は身分の高い将軍俑の制作を任される一方で、下手な奴は馬のしっぽかなんかを担当させられていたのではないかと思ったり、中には怠け者なんかもいて、全体を取り仕切る親方もそんな奴には手を焼いているてなこともあったのではないかと、空想しておりますと、どこからか中国語で話す声が聞こえてきまして、一瞬、兵馬俑の制作現場にタイムスリップしたのかと錯覚しましたが、何のことはありません。

会場を訪れていたたくさんの中国人観光客の声だとすぐに気がつきましたが、どうして彼らは、いつでも見にいける母国の規模の大きな常設会場ではなく、兵馬俑の数も限られている日本の展覧会に、どうしてわざわざ足を運ぶのだろうと疑問に思いました。

 

さらに、平日にも関わらず、著名な画家の美術展と変わらぬ人出に、改めて、例の友人に、

「この人たちは、何を目的にして兵馬俑を見にきているのだろうか……」

てな問いかけもいたしましたところ、

「キミの場合、どうしていつもそんなひねくれた発想しか出てこないんだろうね……」