日本の近代文学史に唯一、名を連ねている落語家が、明治時代に活躍した三遊亭円朝師です。
《怪談牡丹灯籠》《真景累ヶ淵》《怪談乳房榎》など、その代名詞でもある怪談に限らず多くの人情噺、落語を創作した噺家です。
どうやら、これらが戯曲として認められて、近代文学史にその名を刻まれることになったようですが、実は、円朝師は俳句も嗜んでおられ、それがいくつも残されております。
『初湯にも 洗ひ残すや 臍のあか』
『加茂川に すべり落るな 涼み台』
など、噺家らしい句もありますが、
『はつ夢や 誰が見しも皆 根なし草』
『足ることを 知りてもさすが ちるさくら』
といった作も見られます。
俳句の巨匠として近代文学史に名を刻んでいる正岡子規先生は、落語もよくお聞きになって、かなりの通だったようです。
この正岡子規先生と交流のありました明治の文豪、夏目漱石先生も、先にも記しましたように、俳句も作っておられます。
現代の女流講談師、神田陽子師も、俳句を嗜まれていらっしゃいます。
こうして見てまいりますと、俳句が話芸文学に通じていることがわかります。
アタクシも、三題噺をやって俳句も嗜んでおりますから、いずれは文学史に名を連ねらることになるのではないかと思っておりますが、これを例の友人に話しましたところ、
「キミの場合……」
という、いつものコメントすらなく、軽く、
「ふん……」
と鼻で笑われておしまいでした……
ちなみに、永井啓夫氏の《新版 三遊亭円朝》(青蛙房)から、本日のブログのネタをちょうだいいたいましたことを記しておきます。