今朝のNHKの《あに人にあいたい》は、将棋の大山康晴名人のアンコール放送でした。
〝受けの大山〟の異名と称された極意は、
「反撃ができる態勢の受け」
だそうです。
「負けて苦しいときにいかに耐えぬいて勝ちに持っていくか」
「我慢と忍耐で勝ちにいく」
スランプに陥ったときには、考え方や食事にいたるまで、少しずつ変えて気分を変えていくそうです。
昨今、気になっておりますのが、
「受け皿になる」
とい言葉でございまして、その他大勢になってしまった感のある野党の皆さんがこれをよくお使いになっているように思いますが、
「政権を取るチャンスのない今だからこそ何を為すべきか」
を考えることなく、
「巨大与党の落ち穂拾いやりますよ宣言」
のように聞こえるのは、アタクシのモノの見方が歪んでいるからでしょうか……
『勝つためには、負けているときに何をしなければならないのかを考える』
ということが、〝受けの大山〟の極意かと思います。
これを例によって例の友人に話しましたところ、
「キミの場合、これがだめならあれをやってみて、それもうまくいかかったら別の何かに手を出して、とやっているから、〝受けの名人〟ではなく、いつまでたっても〝ウケ狙いの永世迷人〟だろうね」