猫とゾウの気持ち

他人の猫を持ち去って捕獲器に閉じ込めて餌を与えず、棒で腹などを突いて虐待し死なせたとして、動物愛護法違反、器物損壊の罪に問われて、懲役6月を求刑された男が、

「(逮捕されて)猫の気持ちがわかった」

と述べたと、読売新聞オンラインが報じていました。

 

この男は、絶対に猫の気持ちをわかっていません。

拘束されて棒で突かれ空腹のまま死んでいった猫の気持ちが、逮捕されても食事を与えられ虐待もされていない男にわかるはずなどありません。

むしろ、簡単に気持ちがわかるなどと口にする輩ほど、想像力の欠如した自分勝手な人間ではないかと思います。

 

『サーカスのゾウは、ロープで杭につながれたまま、決してそこから逃げ去ろうとしない』

という言葉は、

〈自分にそれだけの力があるはずなのに、その力を発揮しようとしない〉

人を奮起させる言葉かと思います。

 

でも、それまでさんざん逃げることを試みて果たせず、心が折れてしまったゾウに、もう一度がんばってみろ、というのは、実に酷なことではないかと思います。

そうして誰かを再起奮起させる、感動的なドラマや映画がありますが、ゾウに、

「もう一度逃げてみろ、お前にはそれだけの力があるはずだ!」

と奮起を促す人に、ゾウがそうなってしまった経緯やそのときの心情がどれほどわかっているのでしょうか?

できる人間ができない人間の気持ちも考えずにはっぱをかけているだけのように見えるのは、アタクシが、歪んでいるせいではありません。

 

最近、そんなような目に遭ったからで……

 

(オマエの愚痴など、聞きたくないぞ!)