使える言葉〜角を矯めて牛を殺す〜

先日の、なでしこ練習会のあとのオッサン座談会では、

落研派〉と〈スクール派〉の違いについても、話が及びました。

 

落研派〉と申しますのは、学生時代に落語研究会に所属していた人たちで、〈スクール派〉は、社会人になってプロの落語家が講師として指導している教室などに通って落語を学んだ人たちです。

 

簡単に言いますと、プロの噺家を師匠とした方は、その師匠の型に縛られ、学生時代に落語に触れた人間は、そのクラブの、あるいは先輩の教えに縛られる、ということになるかと思います。

 

ですから、たとえば、

「教室で先生にこういう指摘を受けてどうしたものやら悩んでいます」

てな方が、落研派の人に、

「いやいや、われわれの方ではこないしてまっさかいに、そうではなく、こうやないかと思います」

なんてアドバイスをされますと、よけいに悩まむことになります。

 

「大事なことは、『角を矯めて牛を殺す』、つまり、細かいことにこだわってその人の持ち味を損なう、なんてことにならんようにすることちゃいまっか」

と、アタクシ、申し上げましたら、

「ええこと言うな」

ほめられましたので、つい調子に乗って、

「そうでっしゃろ。ワタイね、皆さんから落語の評価を求められたときに、こない言うようにしてますねん」

そしたら、

「それって、細かい指導がでけへん、ということやないか」

「なんでわかりましたんや……」