昨夜からABCテレビで松本清張先生の小説を原作とした『黒革の手帳』が始まりました。
単に悪知恵の働く女ではなく、危険と背中合わせの緊迫した状況にあって、ほんとうはぎりぎりの精神状態にありながら、平然としてそれをしてのける女を、武井咲さんが見事に演じていました。
いつもそうですが、
「悪女というのは、どうしてあんなに魅力的なんでしょう」
と思います。
特に、三人がかりで有利に交渉を進めようとする銀行側に、たった一人で対峙して主導権を渡さなかった場面にはしびれました。
今週号の週刊漫画ゴラク(日本文芸社)の『白竜』(原作・天王寺大さん 作画・渡辺みちおさん)にも、同様のシーンがありました。
吸収合併された企業の従業員の弱い立場につけこむ経営者に、その従業員を代表する人物が主導権を握る交渉をするところです。
スポーツの解説を聞いておりますと、
《主導権を握る》
ということがよく言われますが、ビジネス書やコミュニケーション関係の書籍に、
《主導権を握れ》
なんて文言は、アタクシ、寡聞にして見かけません。
かつて日本人にお馴染みだった勧善懲悪をテーマとした時代劇では、弱い者を正義の味方が助けに来てくれる、という筋立てが基本であったということを鑑みますと、弱い立場にあっても主導権を握る交渉ができる、という発想は日本人にはなかったのかもしれません。
むしろ、それは、『黒革の手帳』や『白竜』のように、悪の専売特許のようなイメージがあるのかもしれません。
でも、主導権を握る交渉を展開する知的な悪は、魅力的です。
アタクシも見倣おうかと思っておりますが、
「それも、頭がよくないとできないよね」
とは、例の友人の言葉であります。