『悪の哲学』柳田國男先生と色川武大先生

『悪の哲学』(筑摩書房)には、『遠野物語』などの著作のある、民俗学柳田國男先生の短い文章が掲載されています。

 

山で炭を焼いている男が、子供二人に頼まれて斧で彼等の首を打ち落とした男が、死に事も出来ずに捕らえられ、獄につながれたけれど、特赦を受けて世の中に出てきた。

しかし、その後、どうなったか分からない……

 

親子三人で滝の上から落ちて死のうとしたけれど、子供と亭主を死なせた女が一人生き残って刑に服したけれど、やっぱり牢を出てから消息が知れぬ……

 

柳田國男先生は、何かの序文の代わりにこれらの話を記されたようですが、まさかに『悪の哲学』のために書かれた文章とは思えません。

 

でも、どんな形であれ人の命を奪うことを悪の定義に加えるなら、同じく同書に記載されている色川武大先生の『善人ハム』も同系のお話で、こちらは戦場で上官の命令で民間人の命を奪った肉屋の人生をかいま見せています。

 

柳田國男先生は、滝の上から身を投げて生き残った女について、

「どこかの村の隅に、抜け殻のような存在を続けていることであろう」

と記されています。

 

思わず知らず、悪の定義にはまり込んだ人間も、『悪の哲学』として考えねばならない、と本書は示唆しているようですが、もしそうなら、悪の哲学は、力強さも外連もない、また憧憬の対象にもなりえぬ、ずいぶん哀しい哲学になってしまうのではないかと思います……