ゴールデンウィークを廃止する前に……

昨日の日本経済新聞(朝刊)のコラム〈春秋〉に、

ゴールデンウィークを廃止しよう——。』

という、元投資銀行のアナリストの提言が取り上げられていました。

観光における大型連休の経済効果が大きい反面、それに依拠するために創意工夫や個性の芽を摘むと言うことです。

 

ゴールデンウィークはどこに行きますか(行きましたか)?」

てな金太郎飴質問がもっとも聞かれる時期でもありますが、

「あっしにはかかわりのねえことでござんす」

と、例年、背を向けているのはアタクシだけではないかと思います。

 

すでに存在しているものに頼っている限り、新しい何かは生まれません。

〈春秋〉は、ゴールデンウィークを廃止するということは、働き方改革の一環としてみんなが一斉に休みをとる習慣を変える、休み方改革である、と結んでいます。

 

ただ、アタクシ、毎年ゴールデンウィーク中、みんなが休んでいる間にまとめて仕事をしていますので、廃止されると困ります。

また、今年は、期間の最後、5月7日(日)午後2時から例によって伝楽亭で《三題噺の会》を開催いたしますので……

 

え?

(やっぱりそこに持っていくのか!)

 

おっと、誤解しないでください。

《三題噺の会》とは言いながら、実はシンキングタイムの梅丹亭小なんさんの古典をじっくりお聴きになりたいという方がたくさんお見えになる会でございます。

 

よろしければ、お越し下さい。

でも、シンキングタイムの小なんさんの落語を聴いてすぐに帰るなんてことは止めてくださいね……

滞在時間が長くなるといらないものを買ってしまう

先日、近所のスーパーにまいりましたら、若いカップルが買い物をしておりました。

女性があれこれ品定めをしているところへ、男性が、

「滞在時間が長くなると、いらないものを買ってしまう」

と言いました。

 

この男性の言葉は、いかがなものかと思いました。

口にした男性は、おそらく、女性の買い物に付き合わされていてあまり面白くないからもう帰りたい、あるいは、やりたいことがあって早く帰りたい、と思っていたのでしょう。

でも、早く帰ろう、と率直に告げるのは大人げないとでも考えたから、ビジネス関係の書籍にでも記されているような経済論の格言か何かを用いたのではないかと思います。

 

ただ、言われた女性は、どのように感じるでしょうか……

 

これを、たとえば、飲み会だと言って夜遅くに御帰還される亭主に、

「居酒屋での滞在時間が長いと、余分に飲み食いしてしまって、経済的にも健康面でも悪影響を及ぼします」

と、妻が言ったらどうでしょう……

 

「うるさいことを言うな。男には男の付き合いというものがあるんだ!」

なんてことを口にしなかったとしても、すこぶる不機嫌な表情を見せるのではないかと思います。

 

『滞在時間が長くなるといらないものを買ってしまう』

という論理は、時として個人の感情を逆撫でします。

 

これを例によって例の友人に語りましたところ、

「キミの場合、そんな偉そうなことをブログに書いて読者の感情を逆撫でしていることに気づくべきだ」

 

いつものオチでございました。

                                   デンデン

ゴールデンウィークの無礼討ち

現在の祝祭日で、もっとも変遷が見られたのは、昨日の『昭和の日』ではないかと思います。

昭和天皇の御生誕日として祝日なり、お亡くなりなってからは『みどりの日』と名をかえてそのまま祝日とされ、今は『昭和の日』としてゴールデンウィークの先陣をになっています。

 

今上天皇の退位に関する諸々の懸案が整理され、一つ一つ決まってきたようです。

中でもアタクシども庶民が気になりますのが、祝日となる天皇誕生日でございます。

 

退位されて今の皇太子が即位されると、天皇誕生日も変わるそうです。

 

現在は、12月23日、クリスマスイブの前日というタイミングですから、ロマンティックなイベントと組み合わせやすかったかと思いますが、それが平日になるということですから、もしかすると、世の中の動きにも多少の影響があるかもしれません。

ただ、この日もいずれは『平成の日』として祝日となるのではないかとも思います。

 

これを例によって例の友人に話しましたところ、

「不敬也!」

と、長煙管で無礼討ちにされました。

金田一先生に倣う

言語学者の金田一晴彦先生の『ホンモノの日本語』(角川ソフィア文庫)に、日本語の発音の単位についての記述があります。

小学校の一年生の国語で覚える五十音を中心に、金田一先生がその使用例を調べられたようです。

その中に、日常、めったに使われない発音がいくつかあり、特に、『みゃ・みゅ・みょ』は、もっとも使われておらず、『みゅ』の使用例を発見するまでに、三年もかかったそうです。(外来語としてカタカナ表記される言葉以外の例のようです)

 

研究にしろに文学にしろ、いつもそのことを考えているからこそ、それが一つの成果となり形になるという好例でもあると思い、改めて自身を振り返ってみました。

自分は、いつも何を考えていて、その成果はどんな形でアタシの人生に表れるのだろうかと……

 

「お金、足りるかな……」

「女性にもてたいな……」

「こんなことをやると、儲かるかな……」

「注目されるかな……」

「認められるかな……」

「楽して暮らしていけるかな……」

「そのためには、やぱり宝くじで大金をゲットするしかない……」

「人生、一発逆転だぜ!」

 

三年どころか、もう何十年もそんなことを考え続けているのに、どうして金田一先生のように成果が得られないのでしょうか……

 

ゴン! ボカ! ドス! パーン! ズキューン!

プロの雀士か星野源さんか……

「プロの雀士を名乗る輩は、違法な賭け麻雀をやって世の中を渡る、不届き者……」

と、ずっと思っておりましたから、最近見かけるプロの雀士が登場するコマーシャルに対して、

「これは公序良俗に反するコマーシャルではないのか……」

と思い、プロの雀士で検索いたしましたところ、なんと、『日本プロ麻雀連盟』が、筆記試験、面接、実践という試験を課してプロ認定しているではありませんか。

しかも、団体主催で将棋や囲碁のように公的な試合も定期的に行っているようです。

 

近年、賭けない『健康麻雀』なる看板を上げる雀荘があり、

「そしたら何か、今までの麻雀は不健康やったということか……」

と、そうした看板を見かける度に、一人でツッコミを入れておりましたが、どうやら、麻雀も、囲碁や将棋、チェスなどと変わらぬ、知的なゲームとして認知されていくことになるかと思います。

 

ただ、団体が主催するプロテストに合格しても、それで食べていけるかどうかは、弁護士やプロゴルファーなどと同じではないかとも思います。

 

日本人は、資格試験や検定試験の好きな国民で、またそういった資格にステータスを求める傾向がありますが、そうしたモノがどれだけ増えても、最後は弱肉強食、強い者だけが勝ち残りますから、それならいっそ、将棋の阪田三吉師のように、腕一本のアウトローとして生きるのもよいのではないかと思います。

 

ところで、

「今日の〈サワコの朝〉のゲストは星野源さんだったんだから、そっちを期待していたのに……」

という方もいらっしゃるかとも思いますが、資格や検定に関係なく、歌手として俳優としてエッセイストとして、その才能を遺憾無く発揮されている時の人に、本日のテーマは、あまりふさわしくないと思い……

 

え?

(嫉妬してるだけやろ)

 なんでわかりましたんや……

 

ちなみに、番組の中で星野源さんは、女性からの告白受付中と、カメラに向かっておっしゃっていました。

実はアタクシも、女性からの告白を受付中で……

ゴン! ボカ! ドス! パーン!

ゴルゴ13・パート6 〜あいにくだが、こういう形でオレの出せる答は、NOだ〜

外務省のホームページに連載中のゴルゴ13

今回は、ちょっとしたアクションもあって、少しはゴルゴ13らしい展開になっていたかと思います。

狙撃以外の依頼をされても、

「あいにくだが、オレの出せる答はNOだ」

と応じる台詞にも、ゴルゴ13らしさがありました。

ただ、ホテルの部屋の中に入りこんだ暴漢から助けた女性に、海外ではホテルであっても軽々しくドアを開けるなと忠告したゴルゴ13が、その女性を食事に誘うシーンに、違和感を感じておりましたら、さっそく忠告を守って、

「知らない人と食事はしません」

 

ギャグ漫画の微妙な間によくあるように、表情を変えないゴルゴ13で劇画は終っていましたが、通常なら、ゴルゴ13が女性を誘うシーンなどなく、濡れ場に変わっているところですが、さすがに外務省のホームページに、そんな場面は描けなかったのでしょう……

でも、まさか、外務省のホームページで、これまでに一度もなかったゴルゴ13のオトシ噺を見せられるとは、思ってもいませんでした。

ただ、見方を変えれば、一度も立ち会いで変化などやったことのなかった相撲取りが初めて注文相撲を見せてファンに衝撃を与えるほどの、あるいは蔵の中で長年死蔵されていた陶磁器が実は何千万円もするお宝だったことが判明したときのような、まさにレアゴルゴ、お宝ゴルゴと言えるほど、価値のあるシーンではないかと思います。

 

でも、例の友人は、

「あいにくだが、こういう形で出てきたゴルゴ13に出せる答は、NGだ」

厳しい表情で申しておりました……

 

語彙力こそが教養である 〜落語で語彙力は増強できるのか〜

明治大学文学部の齋藤孝教授の『語彙力こそが教養である』(角川新書)には、語彙力を涵養するための方法が記されています。

古典から近代の名著、漢籍、歌舞伎、歌詞にいたるまで、語彙力を養成する題材の中に、落語が示されています。

 

著名な齋藤孝教授に示唆されるまでもなく、アタクシどもの世界に住まい致します輩は、皆、落語で使われる語句を自在に駆使しております。

あほなことを言うてるもんには、

「あんさん、普通のお方やおまへんな」

 

くだらんアイデアを言い出すもんに、

「それ、具体的にどないすんねん」

と尋ねると、

「さあ、それをあんたに相談にきたんや」

 

アナゴがおいしいてな話題になったら、

「ワタイ、アナゴよりオナゴがすき!」

 

カラオケで歌い手より声高に合いの手を入れるもんには、

「やかましわい!」

 

もう、いくらでも出て参りますから、アタクシども、そろって語彙力があるということになりますが、こんな落語の言葉や言い回しを世間様で使いますと、不審者のように見られます。

今までは、

「ワレワレは、一般的な人たちとは異なる世界に住んでいるんだから仕方ない……」

とばいかり思い込んでおりましたが、齋藤孝教授の『語彙力こそが教養である』を拝読いたしまして、

「なんだ、ワレワレを奇異な目で見る人たちって、実は語彙力のない、無教養な人たちなんだ」

と、納得しました……

 

え?

(それは語彙でも教養でもない。単なる身内で受けてるだけのネタや!)

 

……ええと、ツッコミを入れられて困ったときには……

「ばんざ〜い! ばんざ〜い!」

え?

(それも、知ってる人しかわからへんぞ!)